見出し画像

戦い

そうかこれは戦いなんだ、と思うようにした。

その言葉は苦手なので、対話という言葉に言いかえようとしたが、対話ではねじ伏せられてしまう。

勝利しても誰かが喜ぶことはない。負けたら寿命が縮む。それだけ。自己満足だけの戦いである。しかし、自分が決めた戦い。絶対負けられない。そんな話。

昨年、座骨神経痛と思われるお尻の痛みに苦しみ、そこから治療院の扉を叩いて大体9ヶ月。高知で踊れるようにしたい、と先生と相談してここまでやってきた。

現状、おかげさまでお尻の痛みは取れてきたものの、今度は背骨に痛みが走るように。

座骨神経痛も背骨の痛みも、捻挫や骨折のような急性のものではなく、長年の肉体の使い方が悪いために、身体が歪んでるという状態。

使い方を正すために日々の動きを意識して生きているのだが、それがもう、、、

先日の診察。日常生活で困ることありますか?の問いにうーん、、と考え込んでしまった。高知遠征前最後の診察だから、この際いろいろ聞いておきたいなと思って無意識に顎に手を当てたり、手を組んだりしてると、

あ、いま姿勢曲がりましたね。

という先生のご指摘。

え、このレベル!?このレベルで無意識を意識化していかなければいけないのかと、気が遠くなった。

正しい姿勢をとることで、肉体の使い方を正していく、ということは頭ではわかっている。しかし、長年の日常化した使い方の心地よさが本当に取れない抜けない。

先生も38歳が分かれ道とあちこちで書かれており、正しい姿勢の重要度はわかっているのに、悪い使い方に戻ろうとする無意識バイアスが強く存在し、本当に辛い。

ひとまず、痛みのでる姿勢や動きを避ける。ストレッチする、この2点を意識して生きている。

前者について。踊るので、振り付けの中に、今の自分にはよろしくない動きがある。そこでその動きを分解して、可動させる関節や筋肉を変えたりしている。

たとえば、しゃがむ。

無意識にしゃがむと背骨が痛むことがある。回避策として2つ。バレエの1番ポジションからのグランプリエ(気をつけで爪先を外側、そこから背骨直立で膝を外側に曲げてしゃがむ感じ。わからん人はググって!)でスッと下りるか、お尻を突き出すように身体を下げ、股関節を曲げて、背骨を極力曲げないようにしている。そうすると、バランス取れないので、頭が前に出る。昔より、前後に使うスペースが増えるイメージ。

こういう風に、動きを一つ一つ確認して動きを正す努力をしている。

(作品改変にもなりかねないのだけど、所属団体はダンススタジオなので、あまりにもかけ離れた動きになったら先生から突っ込みが入ると信じている。)

今年5月の木更津舞尊、須賀IZANAI連 関東で参加し、ムスヒという曲を踊ったのだが、知る人ぞ知る高難易度の激しい楽曲にこの考え方を当てはめ、動きを全部分析して調整して練習し本番を踊りきった。

正直、満足するほど練習ができておらず、満足してなかったのだが、本番が終わり解散して一人になった時に、どっと、肩の荷が下りたような感覚があった。

あー、相当無意識でがんばってたんだなぁと。決して出来が良かったわけではないのに。

と同時に、このままでは演者としてはあかんということ。

自分の身体や動きばかり意識してるというのは、気持ちが内に向いてる証拠。それではただ動いてるだけで、何かを伝える踊りにはならない。

だから、何も意識せず正しい動きができるようになること、それが求められている。

8月になった、高知の本番までもうすぐ。

身体を気にして、あまり無理せず生きてるせいか、今年ほど練習してない年はない。

形だけなら、付いていくだけなら、なんとかなるだろうけど、肉体の芯から、心から出たものを身体の末端まで行き渡らせるほどでない。技術よりもそっちを重視してる団体(と思う)なので、せっかく参加するのにこの状態はあかんというか、もったいない。

この戦いは、勝っても誰かが喜ぶものではない、自己満足の戦い。自分が決めた戦い。本番までもう直ぐ。

ただ、自分が決めたことをやり遂げたい。それだけなのかもしれない。

写真は本編とは全く関係のない、半年ほど前のJR東日本のキン肉マンスタンプラリーの一コマ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?