外人?外国人?外面的人(外の人間)

始めまして、Sueです。
初note記念文で、変なタイトルで失礼しました。

タイトルの通りに、台湾出身の外国人の方です。
ちなみに現在は日本でテキスタイル・ファッション業界で自分の顧問・教育関連会社を起業しています。

台湾は漢字の国ですから、最初外国人=外人の使い方を見たの際に、一瞬で寂しいと思いました。理由は台湾でも「外人」と言うワードがありますが、北京語の説明で実は「他人」と言う意味です。簡単に表現すると、グループ外の人々の意味です。多分これは如何して私が寂しいと感じている部分です。

今一応未熟の日本語で文章を書いているですが、若し誰から高校一年生の私に、「君、これから33歳のお姉さんになった時、東京に暮らして自分のファッション関連の会社を作っているよ」って予告を伝えていたら、多分高校一年生の私から、「はあ?何の話?私は英語の人間だよ、或いは、東京よりアメリカがもっといいじゃん?」の反応だと思います。

でも、人生が面白いのは、想定外こそ人生です。
外人として、2016年の春に東京に来ました。
その前に、日本語の勉強は偶に大学試験の時、点数がマッチングの合格ラインは日本語学科でした。学校にいる時、成績にもあんまり良くなくて結果念願の留学申請も駄目になって、最後はN2しか取れませんで、ギリギリ卒業しました。

就職の際に、一応売りポイントとして、英語と日本語が両方喋れよって、何とか有名な三○重工様の台湾総代理店の貿易部に所属することとなって、ボロボロの日本語で日本技術スタッフさんにファローしていました。恥かしいですが、多分日本語の勉強は、その時仕事場で何回でも、先輩達から「お前、日本語学科の学生でしょう。でも如何して日本語は全然駄目だねー」って冗談の物ですけど、悔しくし過ぎて、一日の出張しました後、夜中3時くらいまで、発電機関連の資料を猛勉強して、何とか日本語の機械の検点レポートを北京語で翻訳しました。

冷静に考えると、日本と言う国は、私に対して、最初のスタートは悔しいと寂しいばかりあんまりよくない思いばかりでした。でも、今の私から見ると、これらの経験は、今の私がやっていることが出来るように繋がりなれるじゃないかなと思います。

外人でもいいし、中の人でもいいし、色々気持ちを込めて、笑ったり、怒ったり、苦しくても諦めず進めることができるようにやっと自分のOnly one生活になっていることが普通の他人にも絶対経験できい部分だと思います。

これからも外人として、最高の日本人パートナーたちと色々国問わず面白い夢とビジネスを無限大に挑戦しに全力で走りたいです。