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ローマ人の物語 5

7巻
ローマの皇帝とは、元老院と市民集会での承認を建前上前提としたものであり、実質的には、「第一人者」の称号と元老院が与えた多くの権限と称号とにより、実質的に皇帝の権力と権威をもつ存在となっていると塩野は言う。終身制。血統。
ライン河防衛の軍団の反乱(待遇改善と規定通りの退役の要求)。背景には、徐々に問題化が進行しつつある財政問題があった。2代皇帝の大きな責務は財政。ティベリウスの77年にわたる生涯、23年間の皇帝生活(14-37)は「カイサルが企画し、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが盤石にした」と評される。名門中の名門貴族の家に生まれ、アウグストゥスを支えた地味な皇帝、不人気の皇帝との評価が一般的だが、それを証するカプリ島への隠遁(そこから元老院に文書で指示・書簡を発出)、近衛軍団の粛清、ライン防衛線の確保等の政策へは塩野は高い評価を与える。
後継者は、ユリエス家系とすでに初代皇帝によって実質的に指名されていた。3代皇帝死亡時期の彼の血縁では、弟の息子クラウディウス(4代皇帝になる。アウグストゥスの後妻リヴィアの連れ子としてのティベリウスとクラウディウス)は45歳と年齢的には適任であったが・・・・。同じく甥にあたるゲルマニクスは嘱望されながらすでに死去していた。結局。ゲルマニクスの息子になるカリグラが三代目に就任。その母親はアグリッピーナで、ティベリウスの後妻ユリアが前の夫との間に設けた子供であった。ティベリウスが愛した妻はアウグストゥスによって離婚させられ、自分の娘ユリアとの結婚をさせる(そのためにユリアは離婚)アウグストゥスの意向に沿うことでユリアス家系に所属し2代目皇帝となることができたともいえる。当時のローマでは政略結婚が普通で、そのためには既婚者の中を割く結婚も当たり前であったようである。
3代目の皇帝・カリグラは、24歳の美青年。父方・母方共にアウグストゥスの血を引く彼の就任は「大政奉還」でもあった。元老院は、簡単に彼への大権授与を行う。彼は、ティベリウスの不人気の施策の逆を行く。多くの催し物、剣闘士試合と戦車競走。快楽追及の皇帝による財政危機。突然の暗殺死。犯人は、ゲルマにスク軍団に所属していた近衛師団の大隊長。動機は不明だが、塩野は「身内の不祥事を身内が始末する」類と理解。就任時の任期は凋落し、わずか4年強の皇帝であった。
後任の皇帝は、嘱望されたゲルマニクスの弟・クラウディウス(57歳)。彼は、外見も精彩を欠き、虚弱体質で歴史研究者としてそれまでの人生を過ごしてきた。新たな皇帝の父親はティベリウスの弟であり、母親は、アウグストゥスの後妻オクタヴィアの娘。
4代目皇帝はティベリウスまでの施策に忠実にその責務を果たす。その実務を助けたのが彼の家の解放奴隷3人組。ギリシア人である。
多くの施策は概して評価が高いものであったが、妻の関係では二つの失策。三番目の妻メッサリーアは、放縦な生活を送り、遂には重婚まで行い結局は皇帝の近衛部隊によって殺される。そのあとを襲ったのが、アグリッピーナ(ゲルマニクスとその妻大アグリッピーナとの間の娘)であり、彼女の実子ネロが5代目の皇帝になる。彼女の結婚目的は実子を皇帝にすることにあり、そのために、実の息子のいる4代皇帝に対してネロをその養子にすることを承諾させる。
皇帝の責務;帝国の安全保障。同盟国との関係維持。小麦(主食)確保。公共事業。
徴税と適材適所人事。元老院との良好な関係維持。
クラウディウスの突然の死(54年、63歳)。毒殺説も。ネロが近衛軍団を従えて皇帝の死去を発表。元老院、ネロへの全権譲渡を決議。
ネロの当初は、元老院寄りの発言、大衆への人気取り政策(剣闘士試合・戦車競走)などもあって好評理に推移する。ネロを皇帝にした母親の存在感の増大。音楽と詩作に「今日」を感じる皇帝。補佐官役のセネカ。後継候補の前の皇帝の息子(名義上はネロの義理の弟)の殺害。愛人と妻の離婚問題。母親の離婚への反対。遂にネロは母親を殺害(船を沈める策はうまくいかなかったので兵士を差し向け刺殺)。
ネロへの逆風が吹きだす。近衛団の長官ブルスの死とセネカの引退。直言する人は不在→ネロは妻オクタヴィアを離婚し愛人ポッペアと結婚。この離婚でアウグストゥスの定めた「血の継続」が失われ、ネロの皇帝への正当性が失われた。ローマの大火(ネロが犯人とする説)と犯人に仕立てられたキリスト教徒200人の処刑(その多くはユダヤ人)。小説「クオ・ヴァディス」の真実。歌う皇帝。ピソの陰謀摘発。ネロの政治への反感から暗殺計画がもう1件あった。突然の司令官3人の自死強制。ガリア地区の反乱はライン河防衛のローマ軍団によって鎮圧されるが、スペイン総督のガルバが決起。それを元老院も支持。民衆は、小麦の問題でネロに不満。近衛兵も寝返る。追いつめられたネロは自死。68年6月、30歳(14年の治世)。ローマ皇帝にとって、元老院と民衆の支持、そして軍団の忠誠宣誓が皇帝の皇帝たるゆえんであり、それが失われれば皇帝は失格。ネロのケースがまさにそれに該当する。
その後、1年半の内乱があってヴェシパシアヌス以下の皇帝が続きその中にネルヴァをはじめとする5賢帝の時代(96-)が訪れる。

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