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ローマ人の物語 7

380年-395年:キリスト教勝利への最終段階。ミラノ司教が背景に立って、グラティアヌスとテオドシウス両帝による「異教」と「異端」狩りの時期。
三位一体説の全面的勝利とアリウス派の敗北。破門と迫害。
「異教」の全面的禁止。発端は皇帝の最高神祇官就任拒否。「勝利の女神」像撤去。神殿経費の切り捨て。その後の、神殿破壊・偶像破壊・彫像破壊・図書館閉鎖・古書廃棄
388年、テオドシウス、元老院で「ユピテルをとるかキリストをとるか」と迫る。
最後に来たものは、キリストの皇帝に対する勝利。
ギリシアでの民衆暴力を厳しく取り締まった皇帝に対して、司教の厳しい抗議。8か月間の抵抗もむなしく、皇帝は和解を求め、民衆の前で司教に跪く。「カノッサの屈辱」と同一の出来事。キリストが皇帝の上位に立ったことを知らしめる大きな出来事であった(390年)。
偶像崇拝に代わるものとしての聖人の大量生産。「万聖節」。
大帝テオドシウス、395年死去。息子二人が分割された帝国を統治。それまでの二人の皇帝制度は分担であってローマ帝国は一つであった。今後は別の国家としての歴史になる。

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