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ローマ人の物語 8

15巻「ローマ世界の終焉」
古代ローマ皇帝の二大使命は国境の防衛と民政(食料と治安)
何故終焉を迎えるようになったか?
蛮族の相次ぐ侵入(ライン河とドナウ河領域からガリアとイタリア北部へ)
帝国の防衛力の弱体化(領土の拡大・ローマ市民軍の解体・傭兵・蛮族出身者の司令官)
東ローマ帝国のオリエント化。西への無関心とその後に生まれた敵意。
財政上の問題と指導層の荘園領主化(国よりも自分中心。公共意識の希薄化)

5世紀初めの東西の空気は、東の「蛮族とアリウス派の専横から西方の解放」であった。
西を実質的に率いていたスティリコもヴァルダン族出身。西ゴート族を率いるアラリックは東の軍司令官として帝国内に領地を持っていたが、上述の雰囲気に押されてイタリア進攻開始。東の抱く狂信(蛮族と異端キリスト教への)。奮戦・健闘するスティリコを皇帝が突然死刑にする(宦官の謀略でスティリコ軍幹部を抹殺。兵士はスティリコを担ごうとするが最後のローマ人として彼は皇帝への面会を求めて結局は謀殺された)。残された兵士はアラリックのもとに走る。アラリック軍はローマを包囲し、莫大な金銀などを入手して一旦は北部イタリアに。409年、アラリック再度の侵攻。輸入港を閉鎖。410年、ローマ劫掠。
帝国末期のガリアは部族間の勢力争いが展開。フランク族は北部を、ブルゴーニュに住み着いたブルグンド族、西ゴート族は南仏、ヴァンダル族はフランスからスペイン、最終的にはジブラルタルを超えてカルタゴを含む北アフリカ一帯を占拠する。スヴェビ族は、押されてスペイン北部に定着。アングル族・サクソン族は、ブリタニアを侵略(その地のローマ化していたケルト人はさらに逃れてスコットランド・アイルランドへ。又、一部は仏の北西部に住む→ブリュターニュ)。ゲルマン侵攻前のガリア住民であったケルト人の翻弄される運命。
東西ローマの操ったのは女性(東は皇帝の姉、西は妹)。

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