応援する事に人生を費やすという事。
私はきっと恵まれていた方だと思う。
シーズン終盤、まだ試合が残っている時期に、引退しますと浩太の引退が発表された。
随分と前から何年もその日をその時を覚悟していた。
私の好きな選手は怪我が多く1年の半分以上をリハビリに費やすなんて事もあった。
更には喘息持ちの、多数のアレルギー。
サッカー選手なのに、芝アレルギー。イネ科に負ける男。笑
だったから、そんなに長く選手でいてくれると思っていなかった、20代半ばで引退すると思っていたから30を超えても現役だった事は奇跡だとも思える。
引退が発表されてから何度か会いに行けたけれど、全試合が終わって、全体練習最終日前日、さぁ笑ってお疲れ様を言いに行くぞと、泣かないんだからって決心していた夜に、監督解任からの突然のオフの通知が届いた。
その日この日の為に生きてきたから、何にも無くなってしまったと虚無感でいっぱいで泣くに泣けなかった。
(結局夜中号泣したけど
オフになったその日の夜、エスパルスの懇親会で浩太に私が最終日に練習行くつもりだったって、友達の友達が伝えてくれた。
その返事が私にとってはとてもびっくりするものだった。
最終日は元々練習に出るつもりが無かったから、来てくれても自分だけいないっていう一番申し訳ない事になってたからオフになって良かったんです。
思いがけない言葉が届いた時に、この最後で良かったんだって思えた。
強がりじゃなくて、本当にそう思えたのは、私が浩太に会いに通っていて、エスパルス、じゃない事がちゃんと伝わっていたんだなと改めて分かったから。
会いに行くことは完全にこちらの自己満で、押し付けな部分もあると思ってるからこそ、余計に嬉しかった。
三保に清水に静岡に、通い続けた8年間が報われたなんて言うとあれかもしれないけれど、報われた気がして、無駄じゃなかったんだと思えた。
認知なんてされなくて良い、だけれど応援している気持ちは伝えたい。
伝わってるが分かると、それは勿論嬉しくて堪らない。
好きでやってる事だからこそ、それが伝わると嬉しくてスキップしたくなる(しません
好きを届ける事に意味はあるのか、私の応援なんかあっても無くてもとか思うこともある。
私がいなくたって応援しなくたって、多数がいるからとそんな風に思ったりもする。
だけど、もしかしたら辛い時の1歩を踏み出せる力になれてるのかもしれない、なれてないかもしれないけれど、多分なれてるんだって思い込んで応援を続ける。
自分の人生を他人を応援する事に費やす。
活字にしたら言葉にしたら、自分の人生は自分の為に使いなよと言われるかもしれないけれど。
推しを、好きな人を応援することで私の人生は成り立っていて、その事を私は凄く誇りに思っている。
だからこそ毎日がとても楽しい。
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