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冷たいシャウエッセン

実家の朝ごはんはトーストとウインナーが定番だった。

ウインナーはシャウエッセン。茹でたものを各自1本。
物心ついた頃から朝はコレと決まっていたので、私の中でシャウエッセンは茹でて食べるものだった。

もうひとつの食べ方を知ったのは4〜5歳の頃に叔父夫婦の家に遊びに行った時。母の兄である叔父は関東で働いており、仕事も忙しく(所謂業界人のような仕事であることは後に知った)、当時の叔母も世界を飛び回るキャリアウーマンだったため(これも大きくなってから知った)、たまに妹である母の住む大阪に2人が訪ねて来た時にしか会えなかった。この時は母の実家があった藤沢に帰省した際、立ち寄ったのだと思う。

叔父夫婦には子どもがいなかった。久しぶりの再会で大人達は会話に夢中。構ってもらえない私は当然退屈した。妹も居たが、まだ幼く遊び相手として物足りなかった。

退屈になるとなぜ何かを食べたくなるのだろう。この時も、何か食べたいと駄々をこねて父と母を困らせた。「お菓子ばっかり食べるな!」と退屈しのぎの間食も禁じられ、涙がちょちょぎれそうになった(ちょちょぎれていたかもしれない)その時、当時の叔母が台所にこっそり連れて行ってくれた。

「おばちゃん子どもがいないから、ゆいちゃんがどんなの好きかわからなくて何にも用意してないんだけど・・・」と言いながら、シャウエッセンを1本渡してくれた。「加熱した方がいいのかな〜、私いっつもこのまま食べちゃうんだよね。」と言いながら、ぱくっと食べ始めた。それを見て私もそのまま、ぱく。『そのまま食べちゃうの〜!?こっそり食べちゃう〜!?』のドキドキで何だかとても特別なおやつに感じられ、思わずニンマリ。当時の叔母とうふふと笑いながら食べ終える頃に母に見つかった。

これを機に、私の中でシャウエッセンはそのまま食べられる手軽なおやつに仲間入りした。冷蔵庫からシャウエッセンを1本出し、そのままぱくっと食べる。いつも当時の叔母を思い出す。また会いたいな。それが叶わなくなってからもう随分経つけれど。

冷たいシャウエッセンは、私にとっておやつであり、両手で数えられる程しか会えなかった当時の叔母との大切な思い出でもある。

現在の叔母はソムリエで、料理がとても上手。年末年始に美味しい料理とワインを振る舞ってくれて、一緒に食卓を囲むのがいつも楽しみだけれど、子育てとこのご時世でその機会が数年無くなっている。

冷たいシャウエッセンをかじりながら、叔母にいつ会いに行けるかな、と思案し始めた。


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今現在、子どもの食に関わる仕事をしている私にとって、子の親に確認せずにこっそりおやつを渡すということは、あまりおすすめ出来る行動ではない。(もしかすると当時の叔母はこっそり確認していたかもしれないが)
でも当時子どもだった私にとっては、30年近く経つ今となっても大切な思い出になっている。栄養の偏りや虫歯など子どもの食は気になることが確かに多いが、「一緒に食べる」体験に、もっと重きを置きたいと最近常々思う。

私の体験が素敵な思い出になったように、事故に繋がらない、アレルギーや誤嚥・窒息などの予防や、自然とバランスが整う食卓、食環境に寄与したい。食卓前面にそれらが出てしまうのではない、そっと後押しする支援をしていきたい。正しさやあるべき論を声高に叫ぶことではない、やさしい伝え方って何だろうと、食べ物の思い出が呼び起こされるたびに思う。


*シャウエッセンは「加熱食肉製品」に該当するもので、加熱殺菌済みの食肉製品であるため、そのまま食べられる。子どもが食べる場合にはケーシングを噛み切れるかが注意ポイントとなる。塩分もそれなりにあるので、大人も子どもも食べ過ぎには注意。(自戒を込めて)

<参考>
食肉製品の規格基準
ハム・ソーセージ類の表示に関する公正競争規約について
日本ハム シャウエッセンQ&A

*「当時の叔母」は自然災害に巻き込まれ亡くなっている。「現在の叔母」も、叔父と一緒に関東に住んでいて中々会えない。これを書きながら会いたい想いが爆発中。


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