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どうしてレジでお礼を言うの

(おうちのごはんはおみせのひとたちにもささえられているからよ)

学生の頃ドイツに滞在して以降、お支払い時にお礼を口にするようにしている。スーパーでもコンビニでも。

彼らはごく自然に「グーテンターク」と籠を渡して「ダンケ」と受け取る。横柄な客よりも、よっぽどからだ中でつまらなさを発しているレジ店員の方が多くて衝撃を受けたのだった。

さすがに日本のレジで「こんにちは」は違和感を覚えるので、代わりに「お願いします」からの「ありがとうございます」。

10年近く続けているものだから、レジの挨拶はすっかり私に馴染んでいる。元来人との交流が不得手なので、店員さんの目を見て伝えることなどないけれど。

(子どもを欲しいと思えたら楽なのにな)と悩みつつ、ときおり想像する努力をゆるりと続けている。

買い物中、親へなぜどうしてと問う子どもを眺めては考える。私には馴染んでいても、毎度レジでお礼を伝える人は少数派だろうから、子どもがいたら尋ねられるのかもしれない。

初めは、挨拶をするヨーロッパの光景に惚れてただただかぶれていたのだと思う。ドイツで見た人々と慣習への敬意からくる行動。でも今は、それが核ではないような気がする。旅行も含めて外国との触れ合いなどこれっぽっちもなくなった。それなのに日常にしっとり馴染んでいる。言い淀むこともない。

今、最寄りのスーパーを心から愛でている。食材の鮮度も価格帯も清潔さも心身健やかそうな店員も。

自炊が日常となって、良き食材とそれを売るお店と気持ち良く購入できる雰囲気を作ってくれている店員さんへの感謝がある。

ただそれだけのこと。

生きる糧