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大人になること

【大人になったな】

と、ふと思う事があった。
大人になった、というか大人になるってこう言う事なのかな?という感覚に近い。「大人」といえど、そう思ったきっかけは本当に些細な事で。

今までは、外食で頼むドリンクは氷無しのオレンジジュースか濃いめのカルピス。家では冷えた麦茶、たまに少し冷ましたココア。背伸びしたくて試してみたインスタントのカフェラテには更に牛乳とグラニュー糖を加えていた。

それが最近は、水とブラックコーヒーばかり飲んでいる。一口もらって全然美味しくないと突き返した紅茶や炭酸も今では何の躊躇もなく飲める。自販機で水を買う友人を理解できないでいたが、今では私も自販機で水を買う。

他にも、生のお刺身が食べるようになった、とかその時にはいくつか浮かんだがもう忘れた。普段飲む物や味覚に変化があっただけなのだが、その時は「大人になったのかも。」そんなふうに思った。

それともう一つ。思っていることを表に出せるようになった。小学生の頃からずっと親や先生、周りの顔色ばかり気にしていて、自分より他人を優先する人間だった。

スーパーへ母と一緒に出かけた時、欲しいものはあるかと聞かれれば「ない」。父に外食へ行くが食べたいものはあるかと聞かれれば「なんでもいい」。欲しいものや食べたいものはあるけれど、決して口にはしなかった。理由は色々あったのだが、とにかく自分で選択することを嫌がった。

自分の殻に閉じこもり本音を隠し続けていた私が、こうしたい、これが食べたいと口に出して相手に伝える事ができるようになった。
面と向かってのやり取りと特に電話が苦手で、インターネット最高!と父のパソコンとネットの繋がったDSに張り付いていた私でさえ、退職時には自らの口で辞めたいと伝え、様々な人が混在しているオフィスで率先して電話対応をしている。

言わば成長。レベルアップ。「大人になったな」と思っていた時の私は自分自身のレベルアップを喜ばしく思っていた。

ところで最近、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」という小説を読み終えた。

帯は残したい派

以前に、村田沙耶香さんの短編集「丸の内魔法少女ミラクリーナ」に心奪われ彼に紹介したことがある。その時に「この人の前に読んだけど面白かったよ」と紹介してくれたのが「コンビニ人間」だった。

まだこの2作品しか読んだことがないのだが、あっという間に世界観に引き込まれ虜になる感覚。新しい視点、新たな疑問を植え付けてくれる。今まで何も気に留めなかった物事を掘り返し、根底から覆される。抽象的だがだいたいそんな感じ。読む度に「普通ってなんだ?」と訴えかけられている。

当たり前のことだが、「私の普通」は「他人の普通」では無いのだ。頭では理解しているつもりでも、無意識のうちに「世間一般的な普通」を他人に押し付けている。さながら「普通」の宗教みたいだ。

そんなことを頭の中で巡らせながら読み進めていくと、新たな視点が生まれる。もしかしたら「大人」になるって「普通」になることなのかもしれない。
凸凹の地面を平すように均等に。出ている杭を打つ。作中にもあるように、社会に適合するために「修復」されているのかもしれない。

この新しい視点によって私は「人間として成長した自分」ではなく、「社会の歯車として修復された自分」となった。私は家元を離れ、自由を手にした気になっていたがそうではなかったようだ。

こうして人は大人になっていくんだろうなと少し寂しくなった。子どもの頃に親や祖父母、先生に抱いた「こんな大人にはなるまい」や子心を知らない大人に対して抱いた「ずっと子どものままでいたい」を忘れつつあるのだろうか。

生きていくには「大人」にならなければならないが、心はずっと「子ども」でいたい。それはやはり難しいことなのだろうか。
水やブラックコーヒーばかりを飲んでいる日々だが、オレンジジュースやカルピスも変わらず飲み続ける私でありたい。


【今日のカバー画像】

「あのときのぼく(2017年冬ごろ) Illust:やや

学校帰りに友人とカラオケに行った時に撮られた写真。
ノリで買ったゴリラのお面とハートのサングラス。
このセットがお気に入りすぎて、部活でもつけてたしアイドル現場にもつけて行った。
気を許せる友人とのカラオケは、私が日頃押さえていた感情を解き放つ事ができる唯一の逃げ場だった。
ちなみに「眠いオブザイヤー」を歌っている。

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