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大一番に向けて”線”を描き続けた名手

2022年5月29日(日)15時45分
熱狂的な歓声に包まれる東京競馬場を
TV画面で眺めながら、何度も何度も握りこぶしをつくった。
第89代 日本ダービー 優勝馬  ドウデュース  騎手 武豊

叫び声もあげた。多分近所迷惑だっただろう。スミマセン。。

グリーンチャンネルで昨夜21時から生放送された
「G1 NIGHT FOCUS 第89回日本ダービー」では、解説佐藤哲三元騎手からの

「朝日杯の勝利、弥生賞・皐月賞の敗戦にも意図があったように見えた」

という問いに、武豊騎手は電話口で頷き

「”点”ではなく”線”で乗りたかった」

と答えた。
僕は唸った。やっぱりそうだよな。

今回は、僕が愛してやまない武豊騎手の前人未到、
6度目のダービー制覇に思いを馳せたいと思う。


思えば約束されていた6度目の勝利

僕が武豊ファンになったのは2005年。
ディープインパクトとのコンビで無敗の3冠を達成したあの年だった。
TVの競馬中継でその強さとかっこよさに魅了され、ようこそ武豊沼へ。。。

あの興奮から17年、その間に武豊騎手にはたくさんの試練があった。
2010年3月、毎日杯での落馬による大けがで成績が低迷。
結果が出せなければ良い馬は回ってこないという悪循環が
武豊騎手をどん底へと突き落とした。

そんな武豊騎手の暗黒期を支えた馬たちは数多くいるが、
その中でも特に、強烈に印象深かったのはやはり、、
武豊騎手5度目のダービー制覇となったキズナとのコンビだろう。
当初、ダービー候補の1頭だった2歳時のキズナとコンビを組んでいた
佐藤哲三元騎手が落馬負傷により騎乗することが難しくなり、
白羽の矢が立ったのが「ダービーの勝ち方を知っている」武豊騎手だった。

初コンビとなったラジオNIKKEI杯2歳S(当時は12月最終週阪神芝2000m)
でその高い素質を確かに感じとった武豊騎手はクラシックを意識する。
しかし、3歳緒戦の弥生賞で本人も認める些細な騎乗ミスがあり、皐月賞出走の権利を逃してしまう。

これを機に陣営は、春の目標をダービー1本に絞ることを決断した。
武豊騎手にとって因縁だった毎日杯、続く京都新聞杯を
ダービーの舞台となる府中の長い直線を意識した直線一気の末脚で快勝し、大一番を迎えた。

2013年5月26日 節目となった第80回 日本ダービー
1枠1番から大外一気を決めて見事勝利したキズナと武豊騎手は
発走前のパドック、返し馬の時から自信に満ち溢れていた。

そこからさらに9年を経た6度目のダービー制覇。僕は思い出した。
ああ、これはもう、あの時と同じだ。武豊とは、こうだったじゃないかと。

”点”ではなく”線”を描き続けた「したたかさ」

今年のクラシック戦線の心強いパートナーだったドウデュースは
8月に小倉でデビューし、2戦2勝で迎えた暮れの朝日杯FSを快勝。
武豊騎手が長いキャリアの中でもなぜか勝てていなかった朝日杯勝利をプレゼントし、この時点でもう武豊騎手にとっても、ファンにとっても思い出深い馬になった。
当然クラシックへの期待も高まり、久々の高揚感を胸に冬を越した。

3歳緒戦の弥生賞では、他のクラシック候補が軒並み皐月賞直行を選択したためメンバーは手薄。ここは是が非でも勝たなければという一戦だった。
しかし、道中先団につける中、他馬に外から中途半端に捲られ進路をふさがれてしまい、結果的にそれが致命的なロスとなり2着に惜敗してしまう。
捲られて来たところで反応してそのままゴーサインを出せば
勝利こそ得られたかもしれないが、武豊騎手は先を見据えグッと我慢した。

続く皐月賞では、弥生賞での不利も考慮され1番人気に支持される。
追切や馬体のデキも素晴らしく、正直これは勝つだろうと思っていた。

――――結果は3着。
逃げ馬が数頭おりペースが速くなると予想した武豊騎手は後方待機を選択。
僕も皐月賞は前傾ペースになりやすいことを分かっていたので、戦前は同じようなことを頭の中に描いていた。
だがこれが蓋を開けてみると、逃げ馬が軒並み出遅れてしまう事態に。
その後無理やり出していく馬もおらず道中はスローペース。。。
ドウデュースと武豊騎手は溜めて溜めて最後に懸けるも、
直線の短い中山では3着が精いっぱいというところだった。

レース後、武豊騎手には批判が殺到。一番人気を背負っていながら
展開を読み違い、脚を余してしまったのだから仕方のないことだろう。
でもその時、僕の考えたことはこうだった。

「これはもう完全に、ダービーのことしか考えていないな」

多少無理してでも、捲ろうと思えば捲れたと思う。
レースを観ると、ペースが遅いことに気づいた武豊騎手は途中まで、どちらを取るべきか逡巡しているようにも見えた。
それでも、弥生賞と同じく我慢することを選んだのである。

目先の勝利に囚われず、本当に目指しているものは何なのか。
そのためには何が必要なのかも、すべて分かっている。
そして、それを可能にする圧倒的な経験とメンタル。
1つ1つのレースを”点”ではなく”線”で描く武豊騎手のしたたかさ。
僕は思い出したのだ。9年前の同じ気持ちを。

これが”武豊”なんだと改めて思い知らされた2分21秒9

迎えたダービーウィーク。1週前追切、最終追切と陣営の思い描いた通りに、ドウデュースは完ぺきに仕上がっていた。
皐月賞の時点ではち切れんばかりだった馬体は、この1か月半でさらに研ぎ澄まされており、静かにその時を待っているようにさえ見えた。

枠順は7枠13番、例年内枠有利のダービーを考えるとやや外目だが、
他の有力馬もこぞって外目に入っていたことから、
それらを見ながら進められるいい枠順なのではないかと感じた。

5月29日当日、天気は快晴。コロナ禍による入場制限が緩和され
3年ぶりに多くのファンが見届けるダービーデーの東京競馬場。

ドウデュースの馬体は490㎏(皐月賞から-6㎏)
調教後馬体重から1kgの誤差もない、この馬の類まれなる精神力。
準備はすべて整った。

競馬の神様はもちろん分かっていたと思う。
こんな素晴らしい日に、だれが勝つのがふさわしいのかを。
僕もまた思い出した。9年前のあの日のことを。
快晴だった。馬体も精神状態も、ジョッキーも、完ぺきだった―――

13番枠からスタートしたドウデュースと武豊騎手は出たなりで
後方4番手のポケットに収まっていく。前には皐月賞馬ジオグリフと
1番人気のダノンベルーガ、後ろには2番人気イクイノックス。
これ以上ないベストポジションをとった武豊騎手とドウデュースは
これまでともに描いてきた線をゴールまで結んでいくように
ゆったりと、じっくりと、お互いのことを確かめ合うように駆けていく。

実況「1000mの通過は58.9!」

皐月賞で逃げるはずが出遅れてしまい逃げることができなかった
デシエルトと岩田康誠騎手がその鬱憤を晴らすかのような軽快な逃げ。
ドウデュースと武豊騎手は動かない。じっとその時を待つ。

4コーナーに差し掛かる―――

後ろにいたイクイノックスが内を通って上がっていく。
まだドウデュースは動かない。
ライバルの進路を消しつつ武豊騎手は我慢する。
そうだ。これまで、負けを選択しても貫いてきた我慢だ。

迎えた直線。武豊騎手いわく「痺れるような手ごたえ」はドウデュース。
ダービーの4コーナーまでの1900mの我慢じゃない。
弥生賞や皐月賞での我慢までもすべて解き放たれた極上の切れ味が炸裂した。

武豊騎手の想像以上にキレたドウデュースは早く先頭に立ちすぎてしまい
懸命に追ってきたイクイノックスに迫られるが、なんてことはないもうひと伸び。
このクビ差はどこまでいっても変わらないと語ったのは小島太元調教師だ。

タイムは2分21秒9のダービーレコード。
すべてがこの時のための伏線だったのではないかとさえ思う完ぺきなレースだった。
この2分21秒9に凝縮された武豊の神髄を僕は一生忘れることはないだろう。

ゴール板を駆け抜け、向こう正面からのウイニングラン。
東京競馬場は6万人のユタカコールに包まれた。
制限は緩和したけど、大きな声援は禁止されていたと聞いている。
でも仕方ないじゃない。あんなの祝福の声援を送らない方が失礼だ。
TVの前の僕はというと、それを羨望の眼差しで眺めていた。

人馬の“絆“も胸に――「チームドウデュース」

ドウデュースのオーナーは皆さんご存じの通りキーファーズである。
代表の松島正昭氏は、武豊騎手の古くからの友人であり大ファン。
「武豊騎手に凱旋門賞を勝たせたい」という一心から馬主資格を取り
素質馬を買い集め、その大半を主戦として乗せてきたのも周知のとおりだ。

そこまで人を本気にさせる武豊騎手の人望もさることながら、
松島氏の本気度は、現在の武豊騎手のモチベーションのひとつにもなっているだろう。
日本ダービー前にテレビ東京で組まれた特集では、松島氏が武豊騎手に
「体が極力衰えることのないようしっかりとトレーニングして」
と頼んでいるという話を聞くことができた。
武豊騎手も、もう53歳と残された時間はあまり多くはない。
その中で、世界の頂を、長年の夢をともに目指してくれている人に
全力で応えていかなければならないと武豊騎手も語っている。

この盟友と言ってもいい二人を夢舞台へと導くのがドウデュースだ。
ダービーを制したことで次の大目標は当然凱旋門賞となる。
馬の状態に問題がなければフランスに向かうことがすでに明言されている。

そこでまたひとつ、心強いチームの要が友道康夫厩舎である。
弥生賞からダービーまで在厩調整でドウデュースを勝利に導いたのは本当に見事としか言いようがない。
間違いなく歴代を含めても名伯楽と呼ばれるに相応しい。
友道師は2016年に同じくダービー馬のマカヒキで凱旋門賞に挑戦している。
前哨戦のニエル賞では見事勝利するも本番では惨敗した苦い経験だが、
敗戦も糧に勝利につなげたドウデュースにはこれ以上ない道標だろう。
師も俄然、同じダービー馬でのリベンジに燃えているに違いない。

そんな友道師は、調教師としての下積み時代を
武豊騎手も主戦の一人として乗っていた浅見国一厩舎で送っていた。
武豊騎手とは当時から話すことが多々あったそうで、今回の勝利を
「ユタカとダービーを勝てて感無量です」
とインタビューで語っていた。

そんな縁も”絆”も深い人と馬が織りなす壮大な夢物語。
その結末は大団円であってほしい。そう願うのは僕だけではないだろう。


やはり、格別の勝利はどう振り返っても気持ち良くなってしまう。
皆さんも、今日たった一日で何回レース映像を観返したことだろうか。
お仕事だった方は、仕事に集中できただろうか?
よく「推しが勝ったから明日から仕事頑張れる」なんて綺麗事を聞くが
本当にそれあってる?残念ながら僕にはまったく当てはまらない。
ダービー勝利の余韻は少なくとも1週間は続くものだろう。

僕はというと、在宅勤務なのをいいことに集中が切れてはレースを観返し
現地で撮られた映像をYouTubeで垂れ流しながら
朝に買いあさったスポーツ新聞を読みふけっていた()

敗戦を糧に大きな一勝を得ることについては、思い出深かったこともあり
キズナを例に挙げたが、武豊騎手がこの大切さを誰に教わったかというと、
それは初めてダービーを勝利したスペシャルウィークだと思う。
ドウデュースと臨戦過程が似ており、
「ドウデュースはスペシャルウィークの生まれ変わりだ」
と言う人をSNSで見かけたくらいだ。たしかに分からなくもない。
スペシャルウィークが天国から後押ししてくれているのだとしたら
こんなにも心強いことはないだろう。

とにもかくにも、武豊騎手にとっても、松島氏にとっても悲願の勝利。
ファンにとっても素晴らしい1日だった。
でも最高の瞬間はまだまだ先。10月2日、パリ・ロンシャンで見届けよう。
それまで人馬ともに、みんな無事に、元気に過ごせますように。

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