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なぜフィリピン・セブ島にオフショア開発会社を設立したのか

当社は、
・シンガポールに本社
・フィリピンのセブ島に100%子会社の開発・制作拠点
・東京に営業拠点
と日本からASEANにかけて拠点を展開し、今年で9年目、現在約200名で構成される会社です。

日本国内の労働人口の減少に伴い「働き方改革」が社会課題となっています。その中でも企業にとって特に重要なものが「人材リソースの確保」と「生産性の向上」。これらの経営課題をITを活用して解決をする事業を、200名の仲間たちと展開しています。詳しくは下記の記事をご覧ください。

なぜフィリピン、しかもセブ島に会社を作ったのかよく聞かれるのでその時の思考回路をまとめてみました。

私は2007年からB2Bの動画プラットフォームを提供するスタートアップを仲間たちと立ち上げ、東京で事業展開をはじめました。必要となる開発チームは新卒を中心にITエンジニアを採用して育成し、設立から1年ほどで20人ぐらいの規模のチームになっていました。新卒で入社したエンジニアたちも先輩エンジニアの育成やプロジェクトを通じて少しずつスマートフォンのアプリがかけるようになってきていたところでした。

当時は2009年ごろからソーシャルゲームが急成長をしてきていた時代。ガラケーからスマートフォンアプリへと、技術トレンドが一気にシフトしていった時期で、大手企業がスマートフォンアプリエンジニアを確保するために巨額の採用費用を投じていました。グリーやDeNAといった大手が競い合うように転職入社ボーナス100万円とか200 万円とかで他社から大量引き抜いていました。そんな状況の中、ようやく少しずつスマートフォンアプリがかけるようになってきた当社の新卒エンジニアたちも、サイバーエージェントやmixi、gloops、クルーズなどのソーシャルゲーム会社にどんどん転職していったのです。

当然ながら立ち上がったばかりのスタートアップにはそんなマネーゲームに対抗する資本力はありません。しかし、必要な開発リソースがなければ、世界を変えるアイディアをカタチにして世の中にだすことはできませんし、リソース不足によって製品やサービスの完成が遅れてしまうことは、お客様に迷惑をかけてしまうことにもなります。「あと2人いれば間に合うのに」、「このエンジニアがいればあのお客様の課題も解決できたのに」、エンジニアが不足していることでこう感じる機会が増えていきました。その時、自社と同じような悩みで苦しんでいる企業、頑張っているのに同じ経験をして成長できないでいる企業がたくさんいるのではないかと思い始めます。ITエンジニアは今後もっともっと必要になってくると感じていたので、それなら、「必要なエンジニアをいつでもいくらでも調達でき、エンジニアに関する困りごとを解決する」、そんな開発拠点を作ろうと考えるようになりました。

それまでにインドや中国のオフショア開発も活用して開発をしてきていたのですが、英語でマネジメントできる人材も不足しており、なかなかうまくいっていませんでした。うまく行かなければ別のベンダーを探して発注を変えればいいやというスタンスで付き合っていれば、相手も同じスタンスで一過性の顧客の一つとしかみてもらえず、あくまでも受発注の関係で終わってしまいます。IT開発というとても難易度の高いコラボレーションを通じて、将来のビジョンを語り合える開発パートナーにならないと本当の意味でのエンジニアに関する課題の解決はできないと強く思っていたので、既に開発拠点をもつどこかの企業と組むのではなく、この想いをともにしてくれる仲間を集め、そんな想いの溢れるチームを自分たちでリスクをとって立ち上げることを決めました。

アジアの色々な拠点を調査したのですが、やはりグローバルでビジネスをするには英語ということで成長著しいアジアで英語でビジネスができる国ということでシンガポールとフィリピンの組み合わせを選びました。マニラではなくてセブだったのは、当時マニラは既に日系IT企業がある程度進出して大きな規模で展開しており競合が多かったこと、まだまだマニラの治安に懸念があったこと、マニラよりもセブの方が2-3割物価が安かったこと、などが理由です。さらに、なんといっても「マニラのオフィス見に来てください」といってもあまり興味を持ってくれる人が少ないのですが、「セブオフィス見に来ませんか?」というとほとんどの人が目を輝かせて「行きます!」と言ってくれるようなセブ島のブランドイメージが、アジアで開発?という懸念を払拭してくれる、そんな魅力がセブにあったからです。

東京で働く同僚にフィリピン人エンジニアがいたので彼を現地責任者として送り込み、彼のネットワークを使って立ち上げメンバーを探しました。大学の恩師の学部長を頼ってフィリピン・セブでNo1の大学であるサンカルロス大学のトップ10の大学生から採用させてもらいました。さらに現地のIBMやアクセンチュアで活躍している卒業生にも声をかけて合流してもらっていると、しまいにはその学部長まで参画してくれることになり、あわせて初期は10名からスタートしました。最初からある程度の開発業務は委託することができたので、すぐに20名、30名へと増やしていくことができました。

その頃、日本国内に目を向けるとIT人材不足があまりにも深刻になっていました。このままでは日本発の製品やサービスが衰退していってしまうのでないかという懸念や、素晴らしいアイディアをもつ日本のスタートアップがその想いをカタチにすることができなくなるのではないか、そう感じるようになりました。一方、日本国内に営業拠点がなければそういった国内企業と出会い、その企業の想いと積極的に伴走をすることができないだろうと考え、国内の営業拠点を立ち上げることになりました。

日本にも営業チームができたことで、非常に多くの企業様に出会うことができるようになりました。どの企業も興味深いサービスを展開されていたり、イノベーティブなアイディアをお持ちの経営者の方々ばかりで、話を伺っているだけでワクワクしてきます。そしてどの企業様も最重要の経営課題はIT人材の確保だということで当社に開発のご相談をされプロジェクトを始めてみようという流れになります。社内の人員で対応できない規模になってくると新規に採用をするのですが、IT人材不足に悩む企業数が圧倒的に多いため、採用してもすぐにプロジェクトが決まり、再度すぐに採用を始める必要があります。これを繰り返したことで2年前まで60名程度の社員数だったのが一気に増員しており、今期も継続して増員中です。毎月10-15人といった規模でエンジニアが入社してくる月もあり、少しずつではありますが、ITリソースに関する課題解決のお手伝いができる企業様が増えてきています。

現在、フィリピン・セブにはオフショア開発をメインにやっている日系企業は5-20名ぐらいの規模のところが多く200名近い組織となった当社がセブの日系オフショア企業では最大ではないかと考えています。このように少しずつではありますがチームが大きくなったからこそ、業種や業界を問わず様々な企業様のIT人材に関する課題を解決するお手伝いができるようになり、設立時の想いである「必要なエンジニアをいつでもいくらでも調達でき、エンジニアに関する困りごとを解決する」を少しずつ達成できるようになってきました。チームの拡大に伴って対応する技術やスキルが広がってきたことで、まだまだ技術が不足していたり、お客様のアイディアや課題に伴走しきれないケースもでてきています。これを解消することで、さらに多くの価値を社会に還元していきたいと考えています。自社で100のサービスを立ち上げて展開させていくのはとても大変なことだと感じますが、IT人材を必要とする100のパートナー企業様と100のプロダクトやサービスを一緒に作り上げていく、これは100の仲間がいるので十分実現ができる、そんな気持ちで少しでも多くの企業様のIT人材に関する課題の解決ができ、日本国内のITを活用したプロダクトやサービスがより多くの人々や国々に届けられることを願っています。

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