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世界の余白

鳥のさえずりで、今日もまた私はこの世界に引き戻された。



目を擦ってベッドから降りて、カーテンをシャッと開ける。今日もスズメたちは窓の向こうの電線に行儀よく並んで、世界に朝を告げている。
「おはよう」私の耳に届いたその4文字が、ガラス窓を通り抜けられなかった私の言葉だと気づくまでに少し時間がかかった。しんとした部屋に響き虚しさを感じて、そっと口をつぐんだ。

まだ朝の8時だというのに太陽はすでに高い位置にあって、季節が進んだことを実感する。中学受験の時、塾の教科書に載っていた天球の図が脳内に思い浮かぶ。こういう記憶は衰えないところに我ながらバカバカしさを覚えて、ふっと息が漏れた。



軽くうがいと洗顔をして、冷蔵庫から牛乳パックを取り出しコップにぐ。スカイブルーの丸っこくてレトロなボディーは今も相変わらず好きだ。
壁向きのキッチンに立ち、腰に手を当ててコップを傾ける。
寝起きで火照った身体に冷えた牛乳が注がれ、錆びた脳みその歯車がギギギと音を立てながらゆっくりと回りだすのをイメージした。



「余白を愛する」という言葉、よく耳にする割によくわかっていない。

時間とは、本来それを使い意図的に何らかの行為を行うことで消費するためのものであり、空間とは、本来そこにモノを配置することで消費するためのものだと思っている。それらの「消費する」という本義を果たさないケース。例えばコーヒーを淹れるためにやかんを火にかけて、沸くまでスマホを弄って待つだけの手持ち無沙汰な時間―それがここでいう余白とやらなのだろうか。

そうであれば私には余白だらけだ。余白というか、白紙だ。目の前にはどこまでも続く画用紙。私の人生に何を描いたって誰からも咎められたりしないのに、私はただしゃがんで画用紙特有のザラザラとした触り心地を確かめるだけ、そこに画用紙が存在することを確かめるだけ。


そうやって私は今日もまた、ただこの世界に生きていることだけを確かめている。





一応小説のつもり。
なんとなく、最初から小説ってわかって読んでほしくないなと思って、特に断りを入れずに書き出してみました。

ひとり暮らしをしている大学生〜社会人3年目くらいの人のイメージです。