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私にはエッセイは書けない

キッチンの出窓から午後の陽が差し込んで、黒いコンロの上に光の筋を作っていた。それを見てふと思った。

そうだ、コーヒーを淹れよう。



顔から汗が垂れて、白いドルマンTの下、肌をなぞった。キッチンが蒸し暑い。9時(私にしては遅い)に起きてから窓も開けず、自室にこもっていたせいだ。確か朝刊の社会面に、昨日は最も遅い猛暑日だったとかなんとかって載ってたっけ。爪先立ちをして出窓をガラガラと開けると、涼しい風がふわりと吹き込んで私のバサついた髪をなびかせた。

やかんに水を汲んで火にかける。ツマミは左に動かして弱火にした。平日の朝に淹れるコーヒーは容赦なく強火にするけれど、今はなんだかゆったり入れたい気分だった。

お湯が沸くまでの間、お風呂の蛇口を捻って、洗濯物の世話をする。私のほかに誰もいない自宅。雨戸が閉まったままの隣の建物。車がアスファルトの上を走る乾いた音が、どこか遠くの音に聞こえる。刹那、気づいたら私だけが取り残されてしまっていた終末の世界を感じた。



とはいえ私はせっかちだと思う。やかんの口から湯気が立つか立たないかのうちに、コンロのを火を切った。ミトンを手に、やかんを持ち上げる。計量スプーン1杯山盛りで入れた粉の上に、トポトポとお湯を注いでいく。こういうところは適当なのに、どうも普段の生活だと「こうじゃないといけない」に囚われているらしい。上司の指摘を思い出す。ああそうか、「生きる意味が見つからないからがんばれない」もそのひとつなのかもしれない。

コーヒーフィルターにあたる陽の具合が好みだったので、思わずカメラを取りに自室へ戻った。ファインダーを覗いて、絞りは小さくしつつ露出を下げる。

カメラを首にぶら下げたまま、ドリッパーを外してコップを口元に寄せた。コーヒーを口に含んで、噛みしめるようにゆっくり、ゆっくりと飲み込んだ。



私にはエッセイは書けないと思う。体験したことを言語化する時、改変が入ってしまう。取り出した文章にではなく、取り出し元である記憶に。オリジンに脚色が入ってしまう。自分が本当に体験したことを、自分で改変させた都合のいい世界ですり替えてしまう。現実の"似せ物"を作品として作るなら問題ないけれど、私自身が"偽物"の現実を生きてしまう。

言葉を失いかけている感覚がある。noteも書けなくなった。その感覚が怖くて受けた漢検2級は、合格こそしたけれど焼け石に水。自分で作り出した偽物たちに囲まれて、本物がどれかわからなくなっているのかもしれない。