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「完璧」という名の檻から出た僕はそれが幻だと知った

「西宮駅~。西宮駅です」
車掌さんのアナウンスが流れる。
「うわ、やばっ!」
飛び起きた僕は慌てて、締まりそうなドアをすり抜けた。
「あぶなかった~」
そう呟きながら、すぐに歩き出す気持ちになれず約束の時間まで時間もあったので、一旦駅のホームのベンチに腰を下ろした。
そういえば昔の自分だったら電車で寝てしまうなんてことは絶対になかった。
座ることも難しかったかもしれない。
常にドアのそばに立ち今どこを走っているのか、どこの駅なのか逐一確認しなければ不安で仕方なかったのだ。
そんな僕が働いて、しかもひとり暮らしをしていけているのは就労移行支援事業所の存在があったからだ。


就労移行支援事業所に通う前までの僕は父親の言いなりだったと思う。
僕には自閉スペクトラム症という障害がある。
だから出来ること出来ないことがあり、母はある程度それを受け入れてくれていたと思う。
しかし、父はそんなことは関係なく容赦なく厳しかった。
お箸の持ち方ひとつとっても厳しく怒られ、叩かれることもあった。
父は何でも完璧にこなすように要求をしてきて、僕もそれに答えようと必死だった。
何とか高校は卒業し、大学にも入ることが出来た。
父は国公立大学に入ってほしいと言っていたが、僕の学力では到底受かることは出来なかった。
当時は厳しく言われたが一応大学に入学出来たので、父も妥協したのだと思う。
しかし大学に入ってからがまた大変だった。
父から経験としてバイトをするように言われ、飲食店でバイトを始めたが、スタッフやお客から毎日のように怒られ、しかもそれが何故怒られているのかもわからない始末だから、どうしていいのかわからず、かなりのストレスになっていた。
結果バイトは続かず、でも父の機嫌も取らなければいけないのでバイトを転々としていた。
卒業が近づいてくると今度は就職活動が始まった。
履歴書の時点でもう数え切れないほど落ち、面接まで進めたとしても内定をもらうには至らなかった。
その度に父は激しく怒り、ぼくは大学に行くことも出来なくなり、部屋に引きこもるようになっていった。
心配した母が障害のある方の相談窓口で相談し、就労移行支援事業所に通うことになった。


最初は緊張したが、少しずつ慣れていった。
何より今まで母以外に自分の障害を理解してくれる人に出会わなかったし、同じような障害を持って通われている方も多かったので、心地が良かった。
しかし、父は就労移行支援事業所に通うことを良く思っておらず、「そんなところに行っている暇があったら就職活動をしろ」と言われていた。

就労移行支援事業所では、僕も就職活動をすぐにしていくものだと思っていたが、そうでもなかった。
もちろん人によるのだが、自分の障害の理解やどういった配慮があれば働きやすいのかなど、働くための下準備という段階から一緒に考え、支援してくれたのがすごく良かった。

就労移行支援事業所では様々なことプログラムを通して学んだり、体験したりするのだが、ある日のプログラムで白黒思考について学んだ。
これは僕にとっては衝撃的な体験となる。

かいつまんで白黒思考について解説すると、いわゆる完璧主義や潔癖症など極端な考え方をしてしまうことのことだ。
白黒思考は生きづらさに直結しやすいといった話を聞いて、最初はそれが何故生きづらさになるのか理解が難しかった。
だってどんなことであっても出来る限り完璧である方がいいじゃん。
皆さんもそう思いませんか?


プログラムが終了してもイマイチ納得出来なかった僕はスタッフを捕まえて白黒思考について質問をした。
「何で完璧はダメなんですか?」
「うん、まず君は完璧なものがこの世の中にあると思うかい? あったとしたらそれは何だろう?」
「うーん、テストとか試験とかは完璧じゃないですか? 出来たか出来なかったか点数という数字でわかるようになっていますし、構造的に完璧なんじゃないかと思います」
「なるほど。でもテストや試験の問題は完璧じゃないこともよくあるよね? 国家資格の試験であっても正答が複数あったり、逆に正答がなかったり、試験をする側も問題が良くなかったと認めて全員に点数を与えることもある。人間が作るものだし、ミスは誰でもあるからね。試験問題だって完璧じゃないんだよ」
「え? 先生は完璧な人ではないんですか?」
「もちろん。先生も人だからね。間違いを犯すことだってあるさ」
この時は何故か先生や親は神様みたいな存在で完璧であり、間違いを犯すことなどないと思い込んでいた。
この時の衝撃は当時の僕の人生史上最大の衝撃だった。
「じっ…じゃあ完璧なものって何ですか?」
「そんなものはないよ。間違いを犯すのが人間だからね。でも不完全だから、間違いを犯すから人間は素晴らしいんだよ」
今度は衝撃というよりは困惑した。
不完全だから良い…??
間違いを犯すから素晴らしい…??
「不完全であるよりは完全な方が良いと思いますし、間違いもしない方が良いと思うんですけど…」
「君は赤ちゃんが生まれてきてすぐに二足歩行を始め、いきなり喋りだしたらどう思う?」
何を言っているんだこの人は?
「それは…ちょっと怖いですね」
「だよねー。ぼくは不完全だからこそ愛おしいと思うんだ。赤ちゃんは特にそうだけど、人間はどこまでいっても不完全だから。だから人は誰かを愛せるんだよ」
愛…。
愛って何だろう?
僕にはすごく縁の遠い話に思えた。
「君のことを愛してくれている人、もしくは君が大事にしている人はいるかい?」
母は障害のある僕のことを見捨てないでいてくれた。
優しく見守ってくれていたと思う。
それが愛というものであるとするのであれば、僕は愛されているのかもしれない。
「父は怖いですが、母は僕を愛してくれていると思います」
「うんうん、素晴らしいね。君もきっと母親のことを大事にしているんだろうね。それにご両親以外にもきっと君の大事な人は現れるさ。それが恋人なのか友人なのか…それはわからないけどね」
「そんな日がくるのかわかりませんが…ありがとうございます」
「うん、ちょっと話がそれてしまったね。話を戻すとこの世の中に完璧なものはないし、完璧じゃないからこそ、この世の中は素晴らしい。だから君も完璧である必要はないし、どんどん失敗もしたらいい。もしかしたらそれを咎めてくる人はいるかもしれない。でも、君のことをちゃんと見守ってくれている人は必ずいるし、ちゃんと君の頑張りは認めてくれるよ」
この話を聞いても僕には納得出来ていなかった。
頭では理解はしていたが、父の怒った姿がちらついて、なかなか納得するのは難しかったのだ。
でも、就労移行支援事業所で過ごすうちに僕の考え方も少しずつ変化が起きた。

就労移行支援事業所のスタッフ達はプログラムで上手くいかなかったことがあっても就職活動で面接に落ちても僕を責めることは一切なかった。
むしろ僕の頑張りを肯定してくれて、どうしていったらいいか一緒になって真剣に考えてくれていた。
就労移行支援事業所は僕にとって安心して失敗が出来る場所だった。



考え方が変わってきたと自覚してきた頃にあっさりと就職は決まった。
本当にあっけないほどに。
今まで僕は何に恐れ、苦しんできたのだろう。
「完璧」なんて幻だったのに。



「西宮~西宮駅です」
車掌さんの声がホームに響き渡った。
ベンチに座って物思いに耽っている間に次の電車が到着し、次から次へと人が降りては改札に流れていった。
「そろそろいかないとな」
そう呟いて僕も改札に向かった。
今日は月に一度の面談の日。
あの時話をしてくれたスタッフにも会えるかなと僕の胸がトクンっと鼓動した。



この物語はフィクションです。


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