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はたらくってしあわせなの?

「ぼくは、働きたくないんです」
「私は早く他の人と同じように社会の歯車に…ふつうにならなきゃいけないんです」

私、江藤景子は就労移行支援事業所のスタッフとして働いている。
就労移行支援事業所とは、障害のある人の就職の支援をしたり、訓練をするところだ。

ここで働いていると
「働きたくない」「ふつうになりたい」

利用されている方からそういった訴えを聞くことはよくある。
その度に「はたらくってなんだろう?」と考えさせられる。

就職して働いていくことが本当にその人の幸せになるんだろうか?

それぞれの人生は

私の勤める「就労移行支援事業所つむぎ」に、田中佐知子さんと吉永聡太さんという方がいた。

田中佐知子さんはシングルマザーで5歳になる息子さんがおられた。
ご自身も発達障害を抱えておられたが、息子にも同じように発達障害があり、生活するだけでも大変な様子だった。
生活保護で生活はしていたが、これから息子も小学生になり、お金もかかってくるであろうということから、何とかちゃんと働いていきたいという希望があった。

吉永聡太さんは精神疾患を抱えており、引きこもりがちになってしまい学校も不登校。
学歴も中卒だった。
吉永さんは毎日のように「ふつうにならないと」と呪文のように呟いていた。

田中佐知子さん、吉永聡太さん
この二人は就労移行支援事業所を経て全く違う人生を歩むことになった。

田中佐知子さんの決断

「これ田中さんに向いていると思うんだけどどうかな?」
そう言って私は田中さんに求人票を渡した。

「わかりました。受けてみようと思います!」
求人票を読み込んだ田中さんは言った。

田中さんは子育てが大変なことは事業所では見せず、いつも明るく振舞っていた。
そんな田中さんを先方も気に入ってくれて、面接を受けた数日後に就労移行支援事業所の方に是非うちに来てほしいと連絡があった。

私から田中さんに直接そのことを伝えた。
きっと喜ぶだろうと思っていた。

しかし、田中さんは神妙な顔をしていた。

「あの…ちょっといいですか?」
田中さんにそう言われ、面談室で話を聞くことになった。

「どうしました?」
「あの…受かったことはすごく嬉しいのですが…お断りしようかと思っています」

私は、まだ本当の意味で田中さんのことをわかっていなかったんだろうと思う。

「私の息子なんですけど、今は普通の保育所にあずけているんですが、気性が荒くて度々暴れるみたいで…家ではそんなことないんですけど…」

そういえば、就労移行支援事業所に来ている際も電話がかかってきては早退して帰られることがあった。
あれはきっと保育所からの呼び出しだったのだろう。

「これから息子も小学生になるし、私も頑張らないとって思っていたんですけど、本当にそれでいいのかなって最近思うようになってきて…」
「私、働くよりももっと息子との時間を大事にしようと思うんです。江藤さんにはお世話になっているのに、本当にすみません」

田中佐知子さんは就職することなく、就労移行支援事業所を辞めていった。

吉永蒼汰さんの表情

吉永蒼汰さんは、中卒であることや自分が働いていないことに対して非常に強い劣等感を抱いていた。

「私は社会の一部になれていない」
「早く社会の歯車にならなければ」

吉永さんの言葉を聞く度に私は心がえぐられるようだった。

それでも根が真面目な吉永さんは1年ほど就労移行支援事業所で訓練と就職活動の支援を受けることで見事就職を勝ち取った。

吉永さんは「これでやっと社会の一部になれる」と安堵した表情をされていた。
私はあの表情を忘れることはないだろう。

田中佐知子さんの幸せは

田中さんとは就労移行支援事業所を辞められた後もたまに連絡を取り合っていた。
働かないという決断をした田中さんが心配だったからだ。

しかしそれも杞憂だったなと今は思う。

田中さんは息子さんとの生活を楽しんでいた。
障害があっても息子さんのことは本当に愛していたんだろうと思う。

保育所の時は暴れることも多かったが、小学生になってからはかなり落ち着いているようだった。

「私、江藤さんには申し訳ないんですけど就労移行支援事業所に通っている時は余裕がなかったんです」
私はびっくりした。だって田中さんは、いつもあんなに明るかったから。

「明るく振る舞わなきゃやってらんないですよ。でも本当は余裕がなくって、息子のために早く就職しないとって焦っていたんだと思います」

「だからちゃんと息子と向き合えていなかったんだなって。今は息子とちゃんと向き合って、お互い色々大変だけど、一緒にひとつずつ乗り越えていけたらなって、そう思うんです」

田中さんの言葉はすごく、すごく強かった。
人は誰かのことを想うことでこんなにも強くなれるんだと。

そして働くことだけが、幸せになることじゃない。
当たり前のようで、それはすごく難しいこと。

それでもその決断をした田中さんを私は尊敬するし、幸せのカタチは人によって違うことを教わった。

吉永蒼汰さんの幸せは

就労移行支援事業所では就職後のアフタフォローも行っている。

吉永さんも月に1回は仕事がお休みの日に就労移行支援事業所に来られ、仕事上での悩みなどの相談に乗っていた。

吉永さんは誰が見てもわかるほどに日々やつれていっていた。

就職して3ヶ月が経過する頃
私は、吉永さんに仕事を辞めた方がいいのではないかと提案していた。

「絶対に辞めません」
吉永さんは強く言い放った。

「どうしてですか?職場の方たちとも相性悪そうですし、仕事の内容も吉永さんに合っているとは思えません。このままじゃ吉永さん倒れちゃいますよ!」

吉永さんはキツく当たってくる上司に就職直後から悩んでいた。
上司に怒られるとさらにミスが増え、他のスタッフにも陰口を叩かれるようになっていた。
そういった状況がさらに仕事でミスをする要因になり、吉永さんはどんどんやつれていった。

「でも、私にはここしかないんです。ようやく社会の歯車になれたんです。それを手放したくないんですよ」

私には無理やり仕事を辞めさせる権限があるわけでもなく、この日は話が平行線だった。

翌月
吉永さんが相談に来られる日に吉永さんは現れなかった。

自宅に電話をすると母親が出た。
「実はあの子先週から仕事休んでいるんですよ。私には何も話してくれないですし、江藤さんは何かご存知ですか?」

私は吉永蒼汰さんから聞いていた内容を母親に伝え、一度蒼汰さんから連絡がほしいことを伝え、電話を切った。

その数日後
吉永さんは自宅マンションから飛び降りた。

幸い命に別条はなかったが、身体の治療が終わった後、精神病院にしばらく入院することになった。

それから何年経っても吉永さんが退院してくることはなかった。

はたらくとは? しあわせとは?

対局の人生を送った田中佐知子さんと吉永蒼汰さん

私は、働くことだけが幸せになるとは思えない。

働くことが幸せだと思っている人もいる
嫌々働いている人もいる
生活保護や年金生活でも幸せな人はいる

働いていないとダメって誰が決めたんだろう

勤労の義務があるから?
それが普通だから?

私は働くことが必ずしも幸せに繋がるとは思わない。
だって幸せのカタチは人それぞれだから。

この物語はフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。

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