見出し画像

嵐の中


久しぶりにみかんでも食べようと、床下の収納の中の段ボールを漁ってみる。
緑色の水平線の近くに湘南新宿ラインがうっすらと走っているのがわかった。
発射直前になんとか快速小田原行きに乗り込み、みかんを手に取っていつも通り下のくぼみに親指を入れると、ライターで炙られたような鋭い痛みに襲われた。
指先をじっと見てみるとハサミムシみたいなものが噛み付いている。
彼はアコースティックギターを嗜み、ウイスキーを愛する紳士だった。しかし、女にだらし無く、家庭ではそれはそれは非道い振る舞いをしており、外面だけの男であった。
虫もろくでなしも嫌いだったので、窓を開けて荒川に向けて放り投げた。「チムチムチェリー」彼は最期にそう言った。

「ドーナツに入れると美味しいんですよ」

赤い目の女性がそう話しかけてきた。
無性に無能な政治家や貧富の差、死の概念について腹が立ってきて、「貴方は良いですよね、まるで延滞料金みたいに何も考えずに生きていられて」などと口走った。
女性はシュープスクイーズをポリポリと掻きながら少し考え込んだ。
むっとしたような表情は少し魅力的で、一瞬でもここが蒸し風呂であるということを忘れさせてくれた。

「ポリコレって単語を使う意味がわからない」
「そういう人は沢山いる」
「この押し問答はいつまで続くの?」
「国府津まで」

さっきまで床が濡れるほど泣いていた中年が鈴の転がるような笑い声を響かせた。
中吊り広告には今日何人の美少年が地獄に落ちたかがリアルタイムで表示されている。
しばらく外に出ていなかったからか、思っていたより随分人数が多くなっていた。召使いを傭兵として使っていた彼女らは急死した某大病院の院長の為に滝野霊園のモアイ像の数を1日一つずつバレないように増やしていっているそうだ。
やっと新函館北斗駅に到着したので、巧に別れの言葉を謝罪を送ってコクピットを後にした。

「人は半分くらい居なくなっちゃったけど、藤本タツキの新作が読めるから私は平気」

傷口に包帯を巻いてしっかりと固定する。
アコースティックギターの音が聞こえる。明日は月曜日だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?