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退団によせて

先頃、7年間所属していた宇都宮ブリッツェンの退団がリリースされました。移籍先は2008年以来となる古巣の愛三工業レーシングチームとなります。

移籍の顛末を話す前に、たまたま車内で流れていた某芸人さんがゲストのラジオの話を。

『モテたいがお笑いの原動力だったけど、お笑いでも目標を達成して、結婚もして、なにを原動力にお笑いをやったらいいかなと…』

『それでお金のためにお笑いをやるわけですよ』

『そうしたら、見事にウケなくなるんですね』

『そんな変わってしまった自分を見かねた奥さんにガツン、と言われましてね』

『目が覚めました』

移籍を考え始めたキッカケは、2018年の夏。

珍しく、シマノレーシング監督の野寺さんから着信が。

『アイサンの田中さんが亡くなったそうだぞ』と。

田中光輝さんは自分が愛三時代の監督だ。

アイサンの別府さんからのメッセージを見逃していた自分は片っ端から情報を集め、葬儀に参列することになった。

急な訃報でブリッツェンからは選手の自分だけ。

田中さんの生前の様子を収めたジャパンカップ報告書を携え、一路愛知へ向かった。

新幹線の車窓は晴れから雨に変わり、目的地の三河安城につく頃には蒸し暑い曇り空になっていた。

コロナ禍で迎えた今年の夏。

レースの中断が長く続き、トレーニングもバリエーションを増やさねばなと、エベレスティングチャレンジ(獲得標高がエベレストの標高になるまで登り下りを繰り返すチャレンジ)なるものをこなした日のこと。

自粛も緩和し、夜は久しぶりにチームの食事会。

出揃った皆の表情が、心なしか曇ってみえた。

その日、数名に運営会社から契約更新が無い旨を告げられていた。

『譲、こんな辞め方はアカンぞ』

田中さんはシマノに移籍する自分に厳しかった。

チームの解散で頼み込んで入れてもらったところを誰にも相談せずに1年で出ていかれては、それは快く思わないだろう。

それでも、現場で会う田中さんは優しかった。

三河安城駅に降り立ち、足早に葬儀場を目指す。

蒸し暑さで汗が吹き出しても、時間が迫っていて気にする余裕もない。

葬儀場に着き、親族の方に香典と報告書を託し最後列の席に座る。

懐かしい面々、棺に納めるアイサンフラッグへのサインを…と促される。

田中さんのお子さんだろうか、喪主である奥さんとも面識はない。

お別れの挨拶がはじまる。

詳細を言葉には出来ない、強く心に響く弔辞でした。

ブリッツェンは愛すべきチームである。

応援する価値もあるし、なにより夢がある。

どんなことがあっても、どんな扱いをされても全力で守りたい。

出来ることなら、ブリッツェンで選手人生を全うしたい。

心からそう思う。

愛されたら、人は変われる。

だから、これからもチーム愛をもって接してほしい。

時に厳しく。時に優しく。

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