今から二百年ほど前、ヨーロッパの片隅で産業革命が起きました。
それを機に、科学は急速に発達したのです。農業の発達によって、人々が飢えから救われたように、工業の発達は人々の暮らしを驚くほど豊かにしました。
暑さ寒さを防ぐ住居や衣服が量産され、家電製品が整って便利になっただけではありません。演劇、ファッション、グルメ、車、レジャーと、それまで貴族によって独占されていた特権、娯楽がすべて大衆のものとして開放されたのです。

この科学・技術が成し得た偉業は、どんなに言葉を尽くしても足りません。
医療制度が人々に何を与えてくれたかは、あえて説明するまでもないでしょう。
それまで貴族の館でしか聴けなかった室内管弦楽。しかし科学の力は、音楽を大衆に開放しました。一部の貴族ではなく、大衆が音楽を聴くために造られた巨大な音楽ホール、その中では音楽自体も科学化、産業化されました。「指揮者」「弦楽器パート」「管楽器パート」と、最新の工場のように演奏者の役割は割り振られ、完全に完成された交響譜面の通りに正確に音楽は演奏されたのです。
線路は果てしなく延びて、旅行ブームが訪れます。かつて貴族のみが楽しめた「冒険」は失われ、スケジュール通りに進行できる「旅行」が、それに取って代わりました。その時代のベストセラー小説ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を読めば、そんな時代の雰囲気を感じることができるでしょう。

また、科学の力は地理的な障害、身分の違いをも解消し始めました。
「演劇」は、都市の住人、つまり市民でなければ見られない娯楽でした。しかしそれを、科学は「映画」に改良しました。これによってどんな地方でも、映写機さえあれば都市の住人と同じ娯楽が見られるのです。興行関係者は、この「地方住民からの収益」の多さに驚き、あわてて「だれにでも分かりやすいストー リー」を制作者に要求しました。
逆に地方の観客は、映画にストーリー以外に都市の最新流行のショーケースとなることを要求しました。ここにおいて、映画は「流行の素材を使って普遍的なストーリーを語る」、という現在のハリウッドスタイルの原型を手に入れたのです。そしてこれに続くラジオ、新聞によって「都市に住める身分の人々」と「地方にしか住めない人々」との差は、急速に縮み始めたのです。

科学は人々に娯楽を与えただけではありません。
科学が、人々を「市民」にした。
科学が、人々の楽しみを普遍化、平等化することによって身分制度、封建制度を壊滅させた。
科学には「前世紀の貴族の特権と楽しみを市民に開放する」という大義名分があったのです。
ああ、科学ってやつは、なんてすごいのでしょう!

そんな科学を、私たちは熱狂的に支持しました。
人々は目の色を変えて量産し、目の色を変えて買い、目の色を変えて遊んだ。
家の中はモノであふれ、お父さんは忙しくてほとんど家にいられないくらいだった。
その当時、人々はみんな科学主義者であった、といえます。
人類は科学の力で、やがて月や火星にも植民地をつくるだろう。
人類は医学の力で、どんな病気も治せるようになるだろう。
人類は合理主義の力で、やがて地上から戦争を撲滅するだろう。
人類は民主主義の力で、最大多数の最大幸福を追求した政治を実現するはずだったのです。

社会の上から下まで、みんなが本当に、腹の底から、それを信じていました。
それを信じたから、人々は邁進しました。浪費は消費を拡大するので美徳だと考えました。新型の電化製品は少しでも早く手に入れなければいけない。それがステータスだったというだけではありません。それが「私たちの繁栄」を体現したものだったからです。
まだ使えるなんて言っていては、今の世の中やっていけない。新型を買わないと、科学も経済も発達しないではないか。「もったいない」と辛気臭いことを言う年寄りもいました。しかし、私たちは彼らを田舎に置き去りにして、生産に、消費に、合理化に邁進したのです。

これが科学主義者の行動原理なのです。

支援していただけるなんてチョー嬉しいんですけど^^笑