さて、技術進歩に注目するのが仕事のマルチメディア本の作者たちはともかく、トフラーや堺屋という、大変優秀な未来学者や経済評論家が提案する未来像が、ここまでズレてしまうのはなぜでしょうか。
もちろん未来のことですから、絶対間違っていると証明はできません。
が、少なくとも私たちの中の相当数(特に若者)が「この未来像って違うよな」と確信している、といえるでしょう。
「こんな未来が来ればいい」と思っているならともかく、「ちょっと違うよな」と思っている生活を、私たちが突然選択することは、あまり考えられないことです。
それなのに、トフラーや堺屋はそんな未来を予測してしまった。
なぜかというと、実は彼らにとっては、そんな未来が「正しい未来」「あるべき未来」だったからなのです。
つまり、さっきのUFO信者と同じですね。現実のデータより、自分の見たいデータを見てしまい、見たくないデータは「取るに足りないこと」として見逃してしまうのです。
では、彼ら(トフラー・堺屋)と私たちの考え方の違いをはっきりさせましょう。
ここでの「彼ら」という言葉も、再び便宜的なものです(正確には「私たちの中で変化しつつある価値観、その旧世代型を『彼ら=トフラー・堺屋タイプ』と定義し、新世代型価値観を『私たち=若者を中心に広がりつつある価値観』と定義することによって、自分の心の中を客体化しつつ観測が可能になる」という、すごく面倒に聞こえる行動です。要するに他人事と考えて、自分の心を覗きましょう、ってことですね)。

私たちと彼らの価値観の最大の違い??。
それは、あえて名付けるなら彼らが「科学主義者」であり、私たちはすでにそうではないという点にあります。
「科学主義」とは、基本的には「科学の発達が人類を幸福へ導いてくれる」という人々の考え方のことです(ここでは「科学主義」を、従来の価値観、感性を説明するための用語として使うことにします)。
しかし、あえてこのヘンな言葉を使うことによって私たちのスタンスが見えてくるのです。
そう、私たちもかつては科学主義者だったのです。

支援していただけるなんてチョー嬉しいんですけど^^笑