◆私たちの内なるオカルト

さて、ここまで読まれてきて、いかがでしょう。
もちろん、これらの現象を妄想だ、ばかばかしい、思春期にありがち、ととらえることもできます。あるいは今の若者たちは分からん、という世代差の話にしてしまうことも可能でしょう。
でも、私たち自身、こういったオカルティックなことを楽しんでいるとはいえないでしょうか。たとえば相手の血液型や星座を聞いて会話の糸口をつかむことは、今や出身地や年齢を聞くのと同様、当たり前のことです。
五、六年前、私の会社で、血液型や星座の話で持ち切りになったことがありました。それも「あいつはB型だから、この手の仕事に向いている」「あいつは乙女座のA型だから、総務を担当させよう」といった話を管理職である人間が白昼堂々と会議し、実際それで人事を決めたりしたのです。
今から考えると冷や汗ものですが、今やこういった話はそこいら中で聞くことができます。

また、私たちはTVの「霊能力者 vs. 科学者」といった番組を楽しんでみたりします。
そういうとき、私たちは本当に霊能力者がインチキかどうか、あまり気にしてはいません。昔のように「インチキなら科学の力で暴け!」とか「インチキでないなら科学者はこれを認め、その謎を解明すべきだ」とかは、考えないのです。
「ふぅーん、そんなこともあるかもしれない」。これが私たちの偽らざる心情でしょう。
今の若者たちが、占いやオカルト本に対して持っている感覚も、これの拡大バージョンなのです。
本当か、ウソか。
科学か、オカルトか。
そんな二項対立ではないのです。あえて言葉にするならば、気楽な第三者として「それって、あるある」「不思議を信じる自分の気持ち、大事にしたい」といった軽い感覚といえましょう。
軽い、というと、どうしても真面目でない、といったニュアンスが入ってしまいます。しかし真面目でないのは、科学的態度というスタンスに対してだけです。 彼らとしては「気になる」とか「自分もそんな気がする」「おもしろそう」という自分の気持ちに対しては、きわめて真面目な態度なのです。
だから、彼らにとっておもしろいと思うことを肯定する科学は良い科学、否定してしまう科学は悪い科学、といえるでしょう。

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