トフラーは「自由競争」とか「民主主義」といった現在の価値観や社会システムはそのままで、技術だけが新しくなった未来を予測してしまいました。せっかくの「すべてが変化する」という主張も、これではお題目を唱えているにすぎません。
これに対して、真っ向から批判を挑んだのが、堺屋太一です。
堺屋は、その最も有名な著書『知価革命——工業社会が終わる 知価社会が始まる』(一九八五年)の中で「これからの商売で大切なのはモノそのものではなく、それに付加される知的価値である」と主張しました。
歴史学的・社会学的な論である『第三の波』を、お金儲けといういかにも日本人らしい位相で切り取り、「欧米に負けるな」と鼓舞したわけですから、エグゼクティブでなくても日本のサラリーマンなら、だれしも心穏やかでいられるはずがありませんね。
「いいもの」「安いもの」がたくさん売れる時代ではないことは、日本のサラリーマンも実感していたからなおさらで、『知価革命』はベストセラーになりました。
堺屋は、その中で次のようにトフラーを批判しました。
「『第三の波』のすべてが変化する、という前提は社会構成員の価値観が変化する、ということである。その変化する価値観を具体的に述べない予測は不十分だ」
では、堺屋が『知価革命』の中で述べている価値観の変化とはどんなものでしょうか。

堺屋はいかなる時代、いかなる社会にも、社会の共通概念である基本価値観がある、としました。その価値観を次のように定義しています。
「豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しいと感じる、人間のやさしい情知」
堺屋はこの“根源的な”法則を、『知価革命』の中で何度も主張しています。これを使って過去から現在における変革をとらえ直し、未来を予測しているのです。
これは歴史をとらえ直す上でも、未来を予測する上でもとても参考になる法則です(このあと、2章で詳しく説明します)。
つまりその時代のパラダイム(社会通念)は、「その時代は何か豊富で、何が貴重な資源であるのか」を見れば明らかになるということです。
ということは、それまで豊富だったものが急に不足したり、貴重だったものが急激に豊富になったり、といった変化かおるとき、それに対応して価値観が変化し、その価値観の変化によって社会は変化する、ともいえるわけです。

支援していただけるなんてチョー嬉しいんですけど^^笑