二年前の日記 1/12

2018/01/12

 自分は音楽を聴かない。本当にまるで聴かない。もちろん若い頃はCDもたくさん買って日常に音楽が溢れていたのだが、いつの間にか聴かなくなってしまった。老化なのか、それとも金がなくなったからか。もしくは他の理由か。とりあえず、面倒臭くなっているのは事実である。音楽を聴くと疲れるのだ。

 そんな自分であっても、パンクロックが反逆の唄であることは知っている。まあ、世の中にはパンクロックの形態を取りながら何にも反逆していない曲もあるのだろうことは想像に難くないが、その辺はパンクに限ったことでもないし、それが商業的に成功しているのであれば、それはそれで良いのではないか。

 ところで、パンクロックムーブメントのアジアにおける中心地といえば、日本でも中国でもなく、インドネシアなのだそうだ。言い換えればインドネシアの若者の間にはそれだけフラストレーションが溜まっているのだと言えよう。

 インドネシアといえば2億5000万人の国民のうち9割近くがイスラム教徒という、世界最大のイスラム国家である。もちろん世俗主義の国であり、多様性と寛容を国是として掲げてはいるのだが、近年原理主義者の声が大きくなるとともに自由はいっそう狭められている。経済はいまだ発展途上で、貧富の格差は広がるばかり。多くの国民がスラムに暮らし、権力は汚職にまみれている。なるほどパンクが流行りそうな土壌がある訳だ。

 そんなインドネシアであるが、必ずしもパンクロックに対し寛容に受け入れている訳ではない。インドネシアの一番西にあるスマトラ島の北端部、アチェ州はインドネシア国内で唯一イスラム法が支配する地域だ。ここではパンクロックは取り締まり対象となる。パンクを愛好する者は宗教警察に捕まり、頭を丸刈りにされるのだという。

 10日のAFPの記事では、神妙に丸刈りにされるパンク愛好者たちの顔が報じられていた。だがそれって意味あるのか。確かに、パンクといえばツンツンに髪の毛をおっ立てた連中がイメージされるが、それが核心ではあるまい。別に坊主頭でパンクをやっても、何か問題があるわけではなかろう。例えばイスラム世界でスキンヘッドというのも、なかなかパンクなのではあるまいか。

 さすがにこんな事ではパンクを根こそぎ潰すことはできまい。その辺お役所仕事的に、わかってやっていることなのか、意味があると思ってやっているのか、なかなか判断に困るところである。

 しかしまあ何にせよ、インドネシアのパンクロッカーには生き残ってもらいたい。抑圧に負けず音楽を続けてもらいたい。何かを表現し、伝えようとする人間は一人でも多い方が良い。何かを伝えようとする者が誰一人としていない世界は地獄だろうから。


 そんなインドネシアのスマトラ島の北側には、シンガポールとマレーシアがあり、さらにその北にはタイ王国がある。タイは2014年のクーデター以来軍事政権が続いているが、そのクーデターを率いた元陸軍総司令官であるプラユット首相は、8日、首都バンコクの政府庁舎前でマスコミの記者団に対し、「政治や紛争について質問したいなら、彼に聞いて」と言うと、自分の等身大写真を貼り付けた厚紙のパネルを置いた。そして自らは手を振ってその場を離れたという。

 タイでは1月13日が子供の日だそうで、このとき置かれたパネルは首相官邸や執務室などを子供たちに公開するに当たって作られた17枚のパネルのうちの一つなのだそうな。当然マスコミ側からは「批判軽視だ」と非難の声が上がっている。まあ実際、首相はマスコミなどどうでも良いと思っているのだろう。

 タイの軍事政権は今年11月に総選挙を予定している。普通に考えれば民主主義政権が復活するチャンスであるが、一定の数の上院議員を軍から任命できるように憲法の改正を図るなど、軍事政権は全面的な民主主義の復活を認めない模様。つまり選挙で負けても問題のないシステムを作ろうとしている訳で、マスコミを通じて国民からの印象が悪くなることを恐れてはいないのだと思われる。

 賢明なやり方かもしれない。民主主義か軍政かの二者択一にするから混乱が大きくなるのだ。絶対多数ではないが無視出来ないだけの数の議席を常に軍が握っていれば、混乱が起きるたびにいちいちクーデターを起こさなくても軌道修正ができる。つまりは民主主義を信頼していないということなのだが、それもまた一つのやり方であろう。

 民主主義が常に正しい答えを導いてくれる訳ではない。国家の安定のためには軍が介入した方が良い国もあるだろう。事情はそれぞれ国によって違うのだ。欧米や日本がそうではないからといって、すべての国に民主主義を強制するのは間違いである。

 とは言ってもまあ、その辺はイロイロわかっていてやってることなのではあろうけれど。例えば中国の民主化を支持する、という言葉の中に、民主化によって中国が今以上に強大になることを願うという意図を含んでいる場合はほとんどない。民主化すれば、あの巨体を支えきれなくなるであろうことを知っていればこその民主化支持である。みんな何枚も舌を持っているのだ。怖い怖い。


 自分は独身である。今まで生きてきて、結婚するという話が持ち上がったことすらない。そんな自分からすれば、何度も結婚している人はある種の特殊能力者のように思える。何で面倒臭くないのだろう。不思議でたまらない。

 イギリスに住むヘレン・ガンドリー氏はある日娘とTVを観ていた。そこに一組の夫婦が登場した。彼女は目を疑った。そこに別居中の自分の夫が写っていたからだ。これが普通なら浮気だ不倫だという話になるだろう。だが話はそれでは済まなかった。何とこの夫、ダニエル・ガンドリー被告は書類を偽造し、TVに写った女性と正式に結婚していたからだ。重婚は日本でも罪だが(懲役2年以下)滅多なことでは立件されない。しかしキリスト教国であるイギリスでは重い犯罪である。地裁はダニエル被告に禁固6ヶ月の実刑判決を下した。

 何とも間抜けな話である。何でわざわざ書類を偽造してまで重婚などしたのか。そして重婚までしたのなら、何故もうちょっと慎重に行動しなかったのか。TVに写るなどもってのほかであろう。おそらくネジが一本抜けた人物なのだろうなとは思う。だから妻に別居されたりするのだ。

 とは言うものの、日本の国会議員にも妻がいながら別の女性と結婚写真撮ってた馬鹿がいた。そう考えると、あまりイギリス人のことを笑えない模様。


※ 国会議員とか、元プロ野球選手とか、重婚まがいの事をする人ってちょくちょく出て来ますね。そんなに楽しいんでしょうか。
 インドネシアのアチェ州は、結構ニュースで出て来る名前です。不倫したらむち打ち刑とかありましたね。重婚ならどうなるんだろうと、ふと思いました。

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