二年前の日記 4/18

2017/04/18

 今日は親の通院に付き添って半日潰れる。毎度のことだが疲労困憊。

 しかし病院はいつも通りの大盛況だった。このご時世に。いつミサイルが降ってくるかもしれないときに、よく病院に行く気になるものだ。あらかじめ予約している者は仕方ないのかもしれないが、予約も入れずに病院に行き、長い時間を待合で潰すなど、怖くないのかと思う。まあ、病院にいようと家にいようと、ミサイルが落ちてきたら同じことではあるのだが、そこはそれ、気持ちの問題があるだろう。自分は死ぬのなら家で死にたい。鳥や犬や亀を残したまま、出先で死ぬなど御免である。逆に自分が世話をすべき責任のあるものたちと一緒に死ぬのなら、それはもうやむを得ないと諦めもつくのではないか。

 テレビを始めとするマスコミが『戦争』という言葉を避けているように見えるのは、パニックが起きたときの責任を問われるのを恐れてのことだと思う。しかし客観的に見れば、戦争は間違いなく近づいているのではないか。もちろん北朝鮮もアメリカも、そして当然この日本も、それぞれ理由は違えど戦争はしたくないだろう。だがもうお互い引くに引けない、のっぴきならないところまで来てしまっているのではあるまいか。北朝鮮は今更核を放棄などできないだろうし、アメリカも今更北朝鮮を核保有国として認めることなどできないだろう。日本だってこれ以上北朝鮮の核の脅威が大きくなることを受け入れる訳にも行くまい。共存共栄はできないのだ。ならばどこかの時点で誰かが決断するしかない。それ以外のシナリオがどうしても見えてこないのである。

 自分はもしかしたら、病的に戦争を恐れているのかもしれない。ミサイルの影に怯えて冷静な判断ができなくなっているのかもしれない。病院の待合でテレビを眺めながら時間を潰している人々の方が、ちゃんと現実が見えているのかもしれない。そうは思えど、だ。やはり人間、怖がるべき時には怖がらねばならないのではないか。怖い物は怖いと、声を上げるべきではなかろうか。今こそがその時だと、自分には思えてならないのだが。

※ いかにも日記らしい日記を書いていますね。この頃はまだ母親が存命でした。
 この頃と比べると、東アジア情勢は変わったようにも見えます。でも本質的な部分では何も変わってないですよね。なのに、何でしょう、この蔓延する「もう大丈夫だろう」感は。全然大丈夫じゃないんですけど。

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