二年前の日記 9/19

2017/09/19

 千日回峰行という荒行が比叡山延暦寺には伝わるという。Wikipediaによれば実際に行に励むのは975日らしいが、何にせよえらい日数である。山野をおよそ4万キロ走ったり、断食断水で9日間眠らずに祈祷したり、それを7年に渡って行うのだそうな。何より、途中で行を続けられなくなったときには自害しなければならないというのが怖い。まさに命がけの荒行と言える。

 この荒行に滋賀県大津市で住職を務める男性が成功した。これにより、彼は「北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんあじゃり)」となったのだそうな。既にWikipediaの千日回峰行のページにはその名前が書き込まれている。仕事が早い。まあそれだけインパクトのある凄いことをやったという事なのだろう。

 と言いつつも、自分の視線は冷めている。いや本当に凄いんだろうな、とは思う。実際、平安時代に始まって現在まで僅か51人という達成した者の数の少なさが、その凄さを物語ってはいる。

 だがそこに憧れや畏敬の念があるかと言えば、否である。体力や精神力が人並み外れているのだろうな、と思うのだが、そこで終わってしまう。自分もそうありたいとか、お近づきになりたいとか、爪の垢でも煎じて飲みたいとか、そういう気持ちがまるで起きないのだ。自分とはまったく関係のない世界の話だとしか思えない。それで良いのだろうか。

 まあ良いと思っている人も沢山いるようなので、良いのだろう。本来自分が気にする話でもない。だったら取り上げなければ良いのだけれど、何だか気に入らない。小骨の引っかかったような違和感がある。何なのだろうな、これは。

 理想を言うなら、こういった事はもっと多くの人々から祝われても良いだろうと思う。宗派・宗教を越えて称えられても良いのではないか。しかし実際の所、天台宗に関係しない大多数の人々は、この荒行が存在していることすら知らない。またニュースで見かけたとしても、自分には関係ないと流してしまう。それって残念なことではないのか。

 何と言うかなあ、もっと上手くオープンにすることはできないものなのだろうか、宗教というヤツは。基本的には内向きで構わないと思う。普段は自分たちの仲間内だけを見て、外に影響を及ぼそうとすることなく内々に籠もっていてくれると有り難い。その方が厄介事が少ないからだ。

 だがそれでも社会の一員である。自分たちはこんな存在であると、こういうことを考え、こういうことをやっているのですと折に触れ公開してくれれば、隣人も余計な心配をしなくて済む。今回の事は良い機会ではなかったか。あの歴史の教科書に出て来る最澄の開いた比叡山延暦寺は、現代でもこのような活動をしておりますよと世に広めるチャンスではなかったか。まさかもう広まりきっているとか思っていないか。まさかな。さすがにそんなことはなかろう。

 まあ何にせよ、天台宗の人はもっと喜んでいいと思う。喜びすぎて羽目を外す人がちょっと出て来るくらいがちょうど良い。その方が人間的ではないだろうか。ああ、そうか。宗教やってる人のそういうサイボーグ臭さに自分は違和感を覚えるのだな。なるほど腑に落ちた。自分の気持ちが理解できるというのは、文章を書いていてときどき掘り当てるお宝のような快感である。それだけで今回これを書いた価値があるというものだ。満足満足。


 臨時国会の冒頭で衆議院の解散が告げられるとの報道を受け、イロイロな方面から声が上がっている。多くはこの国難の時期に解散など言語道断、といった非難の声だ。だがそんなに安倍首相が許せないのなら、不信任決議案でも出せばよろしかろう。そうすれば首相は喜び勇んで衆議院を解散させるだろうから。つまりどっちに転んでも解散はもう避けられないのである。野党の皆様は潔く選挙モードに移行してはいかがか。

 そもそも衆議院が解散されるということは、衆議院議員である安倍首相も一介の候補者となる訳であり、野党としては千載一遇のチャンスだとも言えるはずである。つまりは安倍首相を選挙で当選させなければ野党の勝ちなのだ。その一点にのみ知恵を絞って選挙戦術を駆使してみてはどうだろう。

 今から野党勢力で過半数の議席を取るよりも、安倍首相一人を落選させる方が理屈の上では簡単なのではないか。ならば野党の全勢力をつぎ込んで、安倍晋三候補の落選運動を繰り広げるべきである。

 昔、「ハチの一刺し」という言葉が政界で流行ったが、弱小野党の一刺しで安倍首相を政界から追い出す事ができれば、大勝利ではないか。是非頑張って欲しい。

 なお、本当にそんなことが出来るとはまったく思っていない。野党共闘などと言っても、結局は選挙区の融通だとか応援だとか、つまらない事にばかり気を向けて、肝心な自公政権潰しの具体策を何も実行できない今の野党に、落選運動など出来る訳がない。勝てる可能性をみすみす見逃す、それが今の野党勢力なのである。何と情けないことよ。

 ちなみに野党を代表して共産党の志位委員長は「解散は究極の党利党略だ」と非難しているのだが、だったらその政権を倒すための共産党なりの戦略をそろそろ見せてくれませんかね。おたくらがやってるのは、他の野党を食い潰して共産党だけ生き残る党利党略でしょうが。まあそんなのに乗っかる方が馬鹿なのだろうけれど。

 また野党がらみということで言うと、「日本ファーストの会」をベースに国政政党を立ち上げようとしている若狭衆議院議員のバックについている小池百合子東京都知事は、「何を目的に解散・総選挙をするのか大義がわからず、国民に何を問いかけていくのか私にはわかりにくい。多くのみなさんがそう思うのではないか」と記者団の質問に答えたらしい。

 おそらくはこの言葉、いずれ小池知事が都議会を解散させたときにブーメランとして戻ってくることだろう。口は災いの元である。せっかく人の上に立っているのだから、自分がペラペラ喋るより、誰かに喋らせた方が収まりが良い場合もあろう。好き好きなのかもしれないが、どうも迂闊な印象がある。知事とか党首とかいう立場の人たちは、もうちょっとどんと構えていて欲しいと思うところである。


 九州でエイズ患者が増えているらしい。実数で言えば関東や近畿にはまだ及ばないものの、増加率が高いようだ。こう言うのもアレだが、エイズは防げる病気である。もちろん人により様々な事情があるので100%防げるとは思っていないのだけれど、患者の中には注意さえすれば防げた人もいるだろう。そういう患者を増やさない対策が必要なのではないか。

 と言ってもなあ。具体策があまり思いつかない。せいぜい学校における性教育の中にエイズ教育を取り入れるくらいであろうか。新規の患者の6割が同性間性的接触であったということなので、啓蒙のためにはまず同性愛を特殊なものと捉える常識をなんとかしないと、教育現場でも教えづらいのではないか。

 自分は決して同性愛に肯定的ではない。と言って否定的でもない。人それぞれなのだから、仕方ないだろうと思っているのが正直なところだ。世の中にはいろんな人間がいる。みんな違ってみんないい、のレベルまで悟りきってはいないが、現にみんな違うのだからどうしようもあるまい。他人の主義や思想や嗜好や志向など諸々を無かったことには誰もできないのだ。

 すべてを差別無く全面的に受け入れろと言われると反発したくなるけれど、棲み分けようと言うのなら嫌がる理由もない。上の宗教の話にも通じるが、みんなが自分の心地よいグループを作って、お互いに適度な距離を保ちながら暮らしていければ理想的なのではないか。人間はくっつきすぎてはいけない生き物なのだろう。適度な距離は万病に効く薬である。もっと世に広まればいいのだが。

※ 世の中を均一に、均質にしたいと考える人も居るようですが、無駄な抵抗だと思いますけどね。もっとざっくり大雑把に、いい加減に世の中を捉えた方が、みんな幸せになれると思うのですが。

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