二年前の日記 11/27

2017/11/27

 昨今は人手不足ブームである。何処の会社も人手が足りない足りないと困った顔をしている。そんなもの、給料上げて労働基準法遵守すれば改善するだろうと思うのだが、そう簡単なところばかりでもないようだ。

 適材適所という考え方は昔からあるのだが、最近ではそれを人工知能に判断させる企業が増えているらしい。仕事の効率が上がり、離職者も減るという効果があるそうだ。現在いる人員の配置を最適化し、人手不足に対応するという訳である。なかなか21世紀感がある。ていうか15年くらい遅い。

 人事評価など機械の客観的な目でやらせれば、不公平感もないだろうし、しがらみも発生しないし、合理的だし、良いこと尽くめではないか。何故そんな当たり前のことに今まで気づかなかったのか。技術が発達して実用に耐え得るものが出来上がるのに時間がかかったのだという声もあろうが、先に具体的な方針があれば、もっと早くにシステムは開発されていたのではないのか。

 ちなみにNHKの報道によれば、この手のシステムはアメリカ企業が先行し、日本企業が最近になって導入を始めたらしい。日本独自で作れなかったのかとも思うのだが、もはやそんな時代ではないのだろう。餅は餅屋ということであろうか。

 何にせよ、これで日本の古いブラックな体質が少しでも変化してくれれば、多くの労働者が働きやすくなるだろう。どんどん採用されて欲しいと願う。


 他人の振り見て我が振り直せという言葉がある。しかしその逆はあるのだろうか。我が振りを見せて他人の振りを直させる、みたいな。

 ロシアのプーチン大統領は、ロシア国内で活動する外国メディアの行動をこれまで以上に管理する法案にサインした。今後ロシア政府は外国メディアを『エージェント』として登録し、登録されたメディアは年に1回当局の査察を受けなければならなくなる。

 実はこれと同様のことを、すでにアメリカが国内のロシアメディアである『ロシア・トゥデイ』に対して行っている。今回の措置はそれへの対抗としての意味があるとロシア政府は主張しているのだが、しかしこの法案にプーチン大統領がサインした一番大きな理由は、来年3月に行われるロシア大統領選挙において、外国メディアが選挙結果に影響を及ぼそうと活動することを防ぐことではないかとNHKは報じている。

 自分らがやっているのだから他国もやるだろうという発想である。まあその通りなのかも知れないが、ちょっと怯えすぎではないかという気もする。

 アメリカやEUはより穏健な人物にロシア大統領になってもらいたいのだろう。けれど同時にロシアの混乱は望むまい。ロシアが暴走すればEUはその影響から免れない。そうなるくらいならプーチンに制御しておいてもらいたいと考える者もいるはずだ。アメリカ大統領の代わりは何人もいるが、ロシア大統領の代わりはそうはいない。プーチンを引きずり下ろすための画策は、そうそう仕掛けないのではと思うのだが。

 とは言うものの、プーチン大統領がそれを信じるかといえばそれはないかな、とも思う。疑心暗鬼を生ず、である。それが高じて変な方向に突っ走ったりしないでくれると、隣国としては助かるのだけれど。


 パルミジャーノ・レッジャーノて長い。パルメザンチーズでも長いのに。とりあえずうちの食卓にパルミジャーノ・レッジャーノが並ぶ可能性としては粉チーズしかないのだから、粉チーズ以上の長さの単語は個人的には必要ない。

 さてそのイタリアの名産チーズ、パルミジャーノ・レッジャーノであるが、当然のことながら牛乳から作られる。その牛乳に、イギリスの畜産動物福祉団体――さすが動物愛護先進国、いろんな団体がある――から注文がついた。

 曰く、パルミジャーノ・レッジャーノとグラナ・パダーノ(こちらもイタリア名産のチーズ)を作るための牛乳を搾る牛は放牧されておらず、屋内で、己の排泄物に足を取られるような環境で、衰弱したまま飼育されているということだ。このことから、この団体はパルミジャーノ・レッジャーノとグラナ・パダーノを、「残酷な産物」と呼んでいる。

 この指摘を受けて、パルミジャーノ・レッジャーノの生産者団体の広報は、これまで動物福祉については考慮されていなかったことを認めた上で、現在動物福祉の最低基準を遵守するための認証制度の導入を進めていると述べたという。

 まあ可哀想な牛が減るのであれば、この畜産動物福祉団体は良いことをしたのではないかと思えなくはない。ただ、放牧されて健康に過ごしている牛から絞った牛乳ならばOK、というのも何か気持ち悪い。それなら「すべての殺戮は悪!だから肉食は悪!ムキ――ッ!」とわめく一部菜食主義者の主張の方が簡潔でわかりやすい。

 牛乳を搾るための乳牛はすべて雌である。そしてなおかつ、子供を産まなければ乳は出ない。つまり、牛乳を搾るために雌牛は定期的に子供を産まされるのだ。そして生まれた子牛は母親からすぐに引き離される。そうして本来子牛を育てるための牛乳は搾乳機に搾り取られ、人間の食卓に並ぶ。つまり牛乳それ自体が「残酷な産物」である。

 もちろん牛肉などもっと残酷である。子牛のタルタルステーキとか超残酷と言える。しかし、そういった残酷さには畜産動物福祉団体は関与しない。すなわち、基本的に彼らは畜産業の味方なのだ。動物の福祉云々はその前提あっての話である。だから主張が少しわかりにくい。それは結局のところ、畜産業のアリバイ作りに協力していると言って良いのだろう。

 もちろん自分だって肉は食う。牛乳は飲まないがバターは使う。畜産業の恩恵に浴しているのだ。だから畜産業がなくなっては困るし、その畜産業に協力的な団体の存在もあるべきだと思う。ただ動物の福祉などという言葉を使われると、少し正体が見え難くなる。この残酷は駄目だがこの残酷は認めるという立ち位置を明確にしておくべきだろう。そうしなければ言葉に説得力がなくなってしまうだろうから。


※ 人手不足ブームはいまも続いています。就職氷河期が云々という話もありますが、こういう面で企業の公的責任が問われる事ってあんまりないですよね。自分の会社ではより少ない人数をより少ない給料で働かせたいけど、よその会社の従業員には有り金はたいて自社製品を買ってほしい、なんて理屈が通るはずないのですが。お金がないから人を雇わない、というのは理解できますが、お金はあるけど雇いたくない、という姿勢はクソだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?