二年前の日記 11/30

2017/11/30

 横綱日馬富士関が引退した。他人を殴って大怪我をさせたのだから当然と言えば当然である。ただ惜しいとは思う。まだまだ優勝する力は残っていただろうに、体力の限界で辞めるのならともかく、こういうことで辞めねばならんとは、本当にもったいない。

 しかしこれで終わりにしてはいけない。二度とこういう事件が起きないよう、日本相撲協会は襟を正さねばならん。世代が交代すればなんとかなる、などと言ってちゃ駄目だ。今変えねばその体質はいつまで経っても変わらないだろう。

 日本人は体育会系に甘い。しごき、スパルタ、愛の鞭を易々と容認してしまう。プロアスリートに必要なのは厳しい肉体トレーニングであって、精神修養という名の暴力ではない。

 野球やサッカーはそういう方向から抜け出てきている。相撲はスポーツではない、国技だと言いたい向きもあろうが、外国人力士を受け入れている時点でそんな戯言は通じない。強い力士が欲しければ、若者が入りたいと思う角界でなくてはならないのだ。無意味な暴力を排除して、より強い力士がより長い力士生活を過ごせる相撲界であって欲しいと願う。


 漫画『少年アシベ』でもおなじみのイエティといえばヒマラヤの雪男であるが、このたび『英国王立協会紀要』に論文を発表した研究チームの主筆、ニューヨーク州立大学バッファロー校教養学部のシャーロット・リンドクビスト准教授によれば、「遺伝学的に見ればイエティの正体は複数の種類のクマ」だそうだ。

 研究チームはこれまでイエティのものと伝えられてきた骨や歯、皮膚、毛、ふんなどから遺伝学的証拠を取り出し、調査した。結果、それらはアジアクロクマ(ツキノワグマ)、チベットヒグマ、ヒマラヤヒグマのものだったという。

 イエティの正体がチベットヒグマであるというのは、2012年に登山家の根深誠氏が著書で明らかにしているのだそうな。さらに遡れば1930年代にそういう話がすでにあったのだという。それが今に至るまで議論が続けられたというのは、いろんな大人の事情というヤツが絡んでいるらしい。

 まあ、イエティが謎の怪物であり続けてくれた方が都合の良い人たちがたくさんいたということであろう。だが今回遺伝子レベルでの証拠を突きつけられた訳であるから、さすがに議論は落ち着くと思われる。それでもまだイエティが巨大類人猿だと主張するなら、これ以上の証拠を見つけなければならない。さすがにそれは無理ではないか。

 ただそれでもオカルト大好きな自分としては、この期に及んで「イエティの正体はクマではない!」とか言い出してくれるヤツがいないだろうかと、ちょっと期待してはいるのだけれど。


 オーストラリア南東部、メルボルンを州都とするのがビクトリア州である。人口は約580万人、兵庫県よりちょっと多いくらいか。まあ面積は比べるまでもないが。そのビクトリア州で28日、安楽死を合法化する法案が可決された。2019年6月より施行されるという。これはオーストラリアの州としては初めてであるそうな。

 この法が適用されるのはビクトリア州に1年以上在住する18歳以上の末期患者で、6か月以内の余命が宣告されている場合に限るらしい。また、患者の精神状態が健全であるかどうか、複数の医師による診察も必要とされる。少し厳しいような気もするが、人の命に関わることであるから仕方ないか。何にせよ、羨ましい話である。日本でこういう法律が出来るのはいつの話だろう。

 日本の政治家は個人の尊厳とかそういう話に鈍感な気がする。国家の尊厳とか民族の誇りとか、そういうのも確かに大事なのだが、それだけでは不十分だ。曲がりなりにも民主主義社会を標榜するなら、もっと個人の尊厳を大事にして欲しい。ただただ生きてりゃそれで良いと思っているのか。

 幸福な死を迎えることも、人間の大切な権利である。そしてその瞬間は、自由に選べて当然だ。別に自殺を推奨している訳ではない。しかし命はいったい誰の物かという議論は、国としてなされるべきものだと思う。そういったことから目を背けてはならない。

 生きるというのは死の瞬間に向かうマラソンである。誰一人例外はない。すべての国民に関わる重要なことだ。この国でも議論が深まることを祈る。


『最大積載量 積めるだけ』と書かれたステッカーが一時期トラックの後部によく貼られていたが、最近は見なくなった。ああいうのも流行り廃りがあるのだろう。

 さて29日、滋賀県警守山署はJAおうみ冨士とその45歳の幹部職員を書類送検した。この職員、最大積載量350キロの軽トラックに、1025キロの米を積んで走るよう指示したのだそうな。10月12日に守山市内の国道で取締中の警察官が、軽トラックを見つけて発覚したのだそうだが、まあ無茶をする。

 軽トラックを運転したことのある人ならばわかるだろうが、最大積載量350キロと言っても、実際荷台に100キロも荷物を積んだら、運転中の挙動が大きく変わる。カーブや交差点で曲がろうとすると、後ろに振り回されるのだ。それを1トンも荷物を積んで、よく事故らなかったものである。

 よほど運転が上手かったのかもしれないが、半分以上は運であろう。職員は「より多く積んで業務効率を上げるために指示した」と容疑を認めているそうだが、結果警察に捕まって業務に支障をきたし、かえって効率が悪いことになっているのをどう考えているのか。どうせ運が悪かったと思っているのだろう。

 しかし繰り返すが、運は良かったのだ。その意味が理解できないのなら、今度は自分で軽トラックを運転してみるといい。命は保障しないが。


※ 日本ではホント安楽死議論というのは盛り上がりません。何故こうも死を忌避するんでしょう。ちょっと病的と言ってもいいくらいです。死なない人間は居ないという事がわからないのでしょうか。先般の「人生会議」についても消極的な声が結構あるようですし、とにかく「縁起が悪い」と言ってエンガチョしていれば、死というものから逃れられるとでも思っているかのように見えます。あまり賢明とは思えませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?