二年前の日記 10/16

2017/10/16

 15日、オーストリアの選挙で中道右派政党と極右政党が躍進し、第一党、第二党となった。NHKは右傾化がどうのこうのと言っていたが、左派政党が勝利しても左傾化とは言わない。左派が勝つのは基本路線で当たり前という前提があるのかも知れないが、何とも偏ったことよと思う。

 オーストリアの第一党となった国民党の党首クルツ氏は31歳だという。この若さで首相になることが決まった。末恐ろしいとはこのことか。映像を見たが才気溢れる顔つきをしている。そしてイケメンである。そら国民の支持も集めますわ。自分が31歳の頃って何をしていたっけ。まだ鼻を垂らしていたのではないか。それはないか。まあ何とか最低限のところで人間らしい生活をしていたような気がする。えらい違いだ。

 クルツ氏は難民の受け入れ反対を訴えて有権者の支持を得た。EUの難民政策も批判している。つまりは、「もう難民は来るな」というのがオーストリアの国民の声ということである。当然の反応ではないか。これまであまりにも野放図に難民を受け入れ過ぎたのだ。反発が起きるのは当たり前である。

 こんなことを書いてはいるが、自分とて難民に対して同情の気持ちが湧かない訳ではない。オーストリアの人たちだって、普通に同情はしているだろう。普通の感性を持った普通の人間なら難民に同情するに違いない。

 しかし同情だけでは生きていけない。誰だって飯は食わねばならないし、安全で平穏な暮らしを送る権利を持っている。難民も持っているし、オーストリアの人たちだって持っている。その自分の持っている権利が脅かされていると感じたとき、余所からやってきた難民の生活より自分の生活を優先してしまうことが否定されるべきではない。

 他人に対する優しさは、自分や家族の生活が保障されていて初めて湧き上がるものである。いわば余力だ。余裕があるから他人に優しく出来る。もちろん中には自分に余力がないのに他人に優しくできる人間もいよう。しかし皆にキリストやブッダになれというのは難しい。余裕のないところまで追い詰められた人間に優しさを要求するのは無理な相談であろう。

 今後同様の動きはEUの加盟各国で起きてくるだろう。ドイツですら難民の受け入れに上限値を設けた。EUがこれまで通り難民を受け入れるのは難しくなる。しかし中東が安定しないかぎりは難民は増え続ける。EUと、そしてアメリカはどんな手段を取っても、何を犠牲にしても中東を安定させる必要に迫られるのではないか。それが中東の平和につながるのか、それとも第三次世界大戦につながるのかは、蓋を開けてみなければわからない。


※ いまトルコがシリアに軍事侵攻してクルド人勢力を攻撃しています。これに懸念を示したEU諸国に対して、トルコのエルドアン大統領は「黙らないとシリア難民を送るぞ」と言い放ち、結果EUは沈黙しました。難民というアキレス腱が剥き出しになっているEUには、トルコは止められません。クルド人を見捨てるしか選択肢がないのです。すべては難民を受け入れすぎたがためにこうなっています。これは明白な失政だと思うのですが。

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