二年前の日記 8/28

2017/08/28

 何処の世界にも変わり者はいるものである。ただ変わっているだけなら良いが、ときとして周囲に迷惑をかけてしまうこともあるから注意が必要だ。「おまえは違うのか」と言われたらまったく返す言葉もないので自戒せねばならんのだが、それでもさすがに大きく開いたワニの口に飛び込んで行くほどの馬鹿ではないつもりである。

 アメリカは、9月1日をもって北朝鮮への渡航を禁止する。これはアメリカからの渡航者を北朝鮮が相次いで拘束したこと、特に北朝鮮ツアーに参加した大学生が1年半近く拘束され、昏睡状態で解放されはしたものの後に死亡した問題を受けて、アメリカ国務省が今月初めに発表した措置である。9月1日以降はアメリカのパスポートでは北朝鮮に入国できないのだ。それを受けて、今が最後のチャンスとばかりに北朝鮮へと旅行するアメリカ人がいるのだという。

 自分は何でもかんでもアメリカ政府の判断が正しいとは思わないが、渡航禁止は妥当な措置だと思う。それも即時渡航禁止にせず、現在北朝鮮に渡航中のアメリカ人のことを考慮して9月1日まで猶予期間を設けたのは、非常に国民に対して親切なやり方であったと言えるのではないか。

 なのにそれを逆手にとって、この機会に北朝鮮に渡航してやろうなどと考えるというのは、理解に苦しむ。なぜこんなことが出来るのだろう。自分だけは大丈夫だと思っているのだろうか。自分だけは北朝鮮のことを理解しているとでも思っているのだろうか。正直、人としてあまり素直に尊敬できないニオイを感じる。

 立派なことをしておられる方々もいらっしゃるのかも知れないが、自分が北朝鮮に拘束される可能性についても少しは考えよう。拘束されても自分一人の力で脱出できるというランボーのような超人は、ハッキリ言っていないだろう。自分の迂闊な行動が、多くの人に迷惑をかけることにも意識を向けて欲しい。

 人間にはいろんな欲がある。物欲色欲名誉欲などはすぐに挙がるが、他人を助けたいというのも欲の一つである。それは結構な欲ではないかと思う人もいるだろう。しかしこの欲には「周囲の迷惑を顧みず」というエクスキューズが常に付く。結局のところ自己満足であり、自分勝手なのだ。北朝鮮には助けを求める貧しい人々が沢山いる。『人助け欲』を発達させた人々にとっては、ある意味素晴らしい桃源郷のような場所だ。思う存分人助けが出来るのだから。しかし人助けをしたいのなら、何も北朝鮮に出向くことはない。

“Do you know your next door neighbor?”

「あなたの隣の家の人を知っていますか?」

 マザー・テレサの言葉である。北朝鮮に注ぎ込む愛があるのなら、それを汝の隣人に向けてはどうか。世界中の人が隣人に愛を向ければ、貧困も戦争も少なくなることだろう。

 我々のすぐ隣にも、今この瞬間困っている人々がいる。海の向こうやテレビの向こうの飢えた人々も確かに助けなきゃいけないが、まずは順番があるだろう。あちこちに迷惑をかけながら飛行機を乗り継いで人助けに行くエネルギーを、どうか隣人に向けて欲しい。いや、難しいのはわかっている。隣人だからこその困難さはあるだろう。それはわかっているけれど、そこを何とかできないものだろうか。


 26日、ニューヨークを初めとする全米各地で、上半身裸で下着すら着けていない女性たちが「トップレス・デモ」を行った。8月26日は、アメリカでは「男女平等の日」らしい。つまり胸を見せる権利も男女平等、男は上半身裸で外を歩けるのになぜ女性はそれが許されないのか、という訳である。

 理屈としてはまったくごもっともであり、反論はない。日本でも男の相撲は裸で許されるのに、女相撲は裸は許されていない。これは差別と言えるかも知れない。まあ女相撲は昔は裸でやっていたという話もあるが。

 ただ注意すべきは、裸を見せるというのは男女問わずハラスメントになる可能性がある。男の裸を見て不快に思う女性がいるように、女の裸を見て不快になる男性もいる。見せる自由もあるが、見たくないことを主張する自由もあるのだ。その辺りのバランスは難しいところである。

 とは言うものの、現地にはデモ参加者よりも多くの見物人が集まったというから、あんまり細かいことを心配しなくても良いのかも。


 アメリカ南部のバージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者とそれに抗議する人々が衝突し死傷者が出た問題の影響が広がっている。白人至上主義者と判明すると、TwitterやFacebookのアカウントを削除されるのだそうだ。出会い系サイトも使えなくなり、ペイパルやエアビーアンドビー、ウーバーなども白人至上主義者を排除しているという。

 これって反白人至上主義主義ではないのか。コピペミスではない。主義を2回書いている。アメリカにとって白人至上主義が害悪であるという考え方はわかる。だから社会からはじき出すというのも理解できない訳ではない。しかしだからといって何をしても良いというものではなかろう。例えば排除された白人至上主義者が改心して己の主義主張を改めたとき、TwitterやFacebookはどうやって受け入れるのだ。過去の罪は永遠に消えないとして永遠に排除し続けるのか。

 あるいは将来、黒人至上主義者が問題を起こしたとき、東洋人至上主義者(いるのか?)が問題を起こしたとき、その場合も同じように排除するのだろうか。相手の人種によってぶれることは本当にないのか。

 テロリストと同じ扱いをしているだけだ、との反論もあるのかも知れないが、そのテロリストかどうかの判断を企業任せに――それもユーザーの通報任せに――するのは健全な社会と言えるのかどうか。

 別に白人至上主義者に暖かい目を向けろなどと言うつもりはない。白人至上主義は日本人にとっても敵である。なくなるに越したことはない。ただ、これは日本でも見られることだが、相手が一定の条件を備えたら何をしても許されるという風潮はいただけない。かつての赤狩りと何が違うと言うのか。極端から極端に走りすぎである。もう少し社会は冷静さを保つべきではないだろうか。


※ アメリカ政府による北朝鮮への渡航禁止は、緩和されるのではないかという報道が昨年末にあったのですが、それ以来どうなっているのかよくわかりません。まあトランプ大統領ですからね、ある日突然Twitterで「渡航禁止をやめる!」とか言い出してもまったく不思議はないのですが。

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