二年前の日記 5/25

2017/05/25

 インドネシアのジャカルタで連続自爆テロ。3日続けてテロのニュース。3人死亡、10人が負傷したという。まだ増えるだろうか。

 イスラムでは明後日27日からラマダン月に入る。ラマダンの期間中は日の出から日没まで飲食を絶つ。いわゆる断食である。もちろん日没までであるから、夜は普通に飲み食いする。日本語で一般に言われる断食とは違うものである。

 さてこのラマダン、単に断食するだけの月ではない。この時期は天国の扉が開き、地獄の扉は閉じ、悪魔は鎖につながれるのだそうだ。それだけ天国が近くなる、つまり、この期間に善行を積み、功徳を施すと、天より与えられる恵みが何倍にもなるのだ。ボーナスがつくような感じであろうか。

 で、問題はこの『善行』だ。ISを始めとするイスラム過激派は、十字軍(つまりは欧米諸国)に対するテロ攻撃を、善行であると謳うたっているのだ。

 もちろんイスラム教徒がすべてそれを信じている訳ではない。実際にテロを行っている者でも、どこまで信じているのかは結局本人にしかわからないのではあるが、とにかくこのラマダン月には、テロが起きる確率が高くなる。当然欧米諸国では警戒レベルが上がるので、結果的にはそうそうあちこちでテロが頻発するということにはなるまい。しかし、テロリストの活動が活発化するのは間違いない。日本もいつまで平和なのか知れたものではない。警戒は怠るべきではないと思う。


 気象庁が24日、3か月予報を発表した。今年の夏は平年より暑い夏になるという。ウンザリだ。記事を読んでいるだけでウンザリしてくる。また暑い暑いと言わねばならない季節がやって来るというだけでも大変なのに、「平年より暑いぞ」などと言われると、それだけでもう脳みそが停止してオーバーヒートしそうになる。勘弁してくれ。

 とは言うものの、平年より暑いというのはどれくらい暑いのだろう。去年より暑いのだろうか。いや、そもそも去年がどれくらい暑かったのか、どれだけの人が覚えているだろう。去年は平年並みだったのか、それとも異常な猛暑だったのか。みんな暑い暑い夏を乗り切って、その後の寒い寒い冬を乗り切って、それで安心してしまってはいないか。少なくとも自分はもうまったく去年のことは思い出せない。

 こういうときのインターネットである。気象庁のページを調べてみたところ、去年2016年の夏についてはこう書かれてあった。

・全国的に暑夏で、特に沖縄・奄美では記録的な高温となった

・北日本太平洋側は記録的な多雨となった

・ほぼ全国的に多照となった

 つまり、カンカン照りの多い暑い夏だったということだ。言われてみると、ああ、そうだったかなあ、と思わなくもない。北日本の雨はあったな。北海道に台風が連続して上陸し、農地が水に沈み、道路も鉄道も寸断され、ジャガイモが大量にダメになったのは記憶している。いや、ジャガイモだけではなく、野菜全般が値上がりしたはずだ。秋に白菜が馬鹿高くて鍋が出来ないという報道があったのを思い出した。なるほど、気温については覚えていないのに食い物関係は覚えているのか。典型的な花より団子人間である。

 ああ、そうだ、思い出してきた。去年は長期予報で10月くらいまで暑さが続くと発表されて、勘弁してくれとここに書いたはずだ。そのくらい暑かったのだ。そうか、要するに今年も去年くらい暑くなると考えておいた方が良いということなのか。うああ、勘弁してくれ。もう5月の時点でギブアップ気味である。今年の夏は乗り切れるだろうか。


 羊の群れには一頭だけ山羊がいる。そうすると山羊がリーダーとなり、羊はそれに従って動くようになる。つまり山羊一頭をコントロールできれば、羊の群れ全体をコントロールできる。羊飼いの知恵である。

 アメリカ・インディアナ州のノートルダム大学の卒業式のゲストに、ペンス副大統領が招かれたのだが、彼がスピーチを始めると、一部の学生が退席したという。これはいささか礼を失しているのかもしれない。しかし、政治に対して明確な意思表示が出来るということそれ自体は喜ばしいことである。

 意思表示は決断がなければできないし、決断には知識が要る。知識を得るには興味を持たねばならないし、興味を持つには何らかの願望があるはずだ。つまりは、世の中がこうであればいいのに、こうなればみんな幸せになれるのに、そういった社会に対する希望要望があればこそ、政治に対して意思表示ができるようになるのだ。ただ唯々諾々と社会の有り様を受け入れるだけでは意思表示はできない。そして意思表示ができない人間ばかりが集まった社会では変革など望めない。それが右に寄ろうが左に寄ろうが、ただ羊のように従うだけよりずっとマシであろうと自分は思う。

 もちろんそうは思わないという人も居るだろう。あえて羊の道を選ぶという選択もある。それは尊重されるべき自由だ。ただ、自分が羊であるのかどうかすらわからない、わかろうとしない人間は、愚民と言われても仕方ない。それは生きることを放棄しているのと同じだ。

 生きることは選択と決断の繰り返しであり、政治はその延長線上にある。手持ちの金で今日食う物を選択し決断するように、いまの自分と照らし合わせて政治を選択し決断しなければならない。間違うこともあるだろう。それでも、何も選ばずには何も進まない。前進はもちろん、現状維持も後退も、選択と決断があって初めてなされるのだ。

 今回退席した学生たちは、次の選挙ではまた考えが変わるかもしれない。それでもいい。大事なのは今である。今なにを望み、今なにを選び、決断するか。この世の全てはその上に成り立っているのだから。

※ 2年前は自爆テロが花盛りでした。それと比較すれば、いまは多少落ち着いてはいるのでしょうが、先般スリランカでのテロがあったように、テロリストが活動を放棄した訳ではありません。警戒は必要です。
 2年前は長期予報を見てうんざりしていましたが、今年は今日の天気予報を見てうんざりしています。とても5月とは思えないこのクソ暑さ。これが7月なら迷わず冷房を入れるのですけれど。あー、どうしようかな。本来なら電気代が安くなる時期なのに、もう勘弁してもらいたいものです。

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