二年前の日記 6/17

2017/06/17

 今日未明、静岡県南伊豆町の沖合で、アメリカ海軍のイージス駆逐艦「フィッツジェラルド」(全長154メートル、8315トン)とフィリピン船籍のコンテナ船「ACX CRYSTAL」(全長222.6メートル、2万9060トン)が衝突した。フィッツジェラルドは船体の右側が大きく壊れ、浸水し、乗組員7人が行方不明、3人が怪我をしている。いまは一刻も早い行方不明者の救出を望む。

 にしても、コンテナ船の方が大きいから当然なのかもしれないが、イージス艦はもろいな。例えばコンテナ船とかタンカーとか奪取すれば、対艦ミサイルや魚雷がなくても、突っ込むだけでイージス艦を無力化できる訳だ。これはあまり報道してはいけないんじゃないかという気がしないでもない。


 東京都立の工業高校教諭、佐藤稔之容疑者(52歳)が強盗致傷の容疑で逮捕された。容疑を認めているという。

 内容としてはこうである。佐藤容疑者は都内のビジネスホテルにデリヘルを呼んだ。で、最初に10万円を支払い、その後も延長料金や小遣いとして16万円を手渡した。

 デリヘルを知らない方は、へー、そういうものなのか、随分と高いものなんだな、と思うかも知れないが、これは異様である。デリヘルはそもそも風俗の中でも高級なものではない。実在店舗を持たないからだ。実在店舗をもち、その維持管理に金をかけているソープランドなどの方が、高級なのである。さらにそのソープランドの中でも、設備を充実させ、なおかつ所属するソープ嬢を厳選している、いわゆる高級ソープと言われる店がある。しかしそんな店でも入浴料・サービス料込みで10万円も出せば、間違いなく地域トップクラスの高級店である。言い換えれば、何のサービスもしていない出会ったばかりの段階で10万円支払うデリヘルなどないのだ。

 なのにこの佐藤容疑者はいきなり10万円を支払った。指定したコースは240分6万4千円のコースであったというから、明らかに支払いすぎである。なおデリヘルの利用など、普通60分もあれば一通りのサービスは終わる。120分コースなど、長すぎて半分くらいは世間話をするしかない。240分のコースなど、いったいどうやって時間を潰すのか、自分には想像も出来ない。

 その長い長い240分コースを指定し、料金を上回る10万円を支払い、さらに延長料金や小遣いまで合計16万円を追加で支払って、挙げ句の果てにこの佐藤容疑者がやったことと言えば、デリヘル嬢に馬乗りになって殴りつけ、26万円の入ったバッグを奪ったのである。調べに対し、佐藤容疑者はこう述べているという。

「プロ意識の低さに腹が立った」

 こういう奴の口からプロ意識という言葉が出て来ることこそが腹立たしい。他人にプロ意識を問えると思うのなら、教師のプロとして、今回のこの行動を生徒にどう説明するつもりなのか。できるものならやってみろと思う。

 はじめ自分は、この男は最初から金を払うつもりがなかったのではないかと思った。だが記事を読むにつれ印象が変わった。この佐藤稔之という男、金にはさほど不自由していないのだと思う。おそらくは貧しい女性に金を「恵んでやる」のが好きなのではないか。それによって貧相な優越感が満たされるのだろう。その代わり、女性には犬のように従順な隷属を求めるのだ。

 女性をアゴで使えるのが楽しい、だからこその240分コースであり、更なる延長である。この男の言う「プロ意識」とはそういうことだ。だが女性が少しでも自分の意に沿わない行動を取れば、切れる、殴る、そして金を取り上げる。それが通用すると思っているのだ。デリヘル嬢が人間であることが理解できない。おそらく自分の生徒が人間であることも理解できていないのではないか。歪んだ自意識の、非常に危険な思考の男である。もしかすると余罪があるかも知れない。徹底的な取り調べが必要ではないかと思う。


 イスラム過激派組織IS指導者のバグダディ容疑者が、ロシア軍の行った空爆により、シリア国内で死亡した可能性があると報じられた。

 いつ頃からだろうか、人の殺されたニュースが良いニュースとして扱われるようになったのは。たぶん911、アメリカ同時多発テロの後からだと思う。

 確かにISは世界の敵である。ならばその指導者の死は、世界の勝利であると言って良い。つまりそれは良いニュースなのだろう。理屈はわかるのだが、それでも自分は違和感を禁じ得ない。

 この気持ちを正確に伝えるのは難しい。ISは殲滅せねばならない。しかしそれでも、人の死ぬニュースを喜んではいけないような気がするのだ。人の死から目を逸らせと言いたい訳ではない。言葉で誤魔化せと言いたい訳でもない。ただ、どんな悪人であっても、その死を娯楽として消費してはいけないと思う。ゲームの中ならそれでいい。しかし現実に生きていた人間の死で、己の快楽を埋めてはいけないのではないか。

 殺すべきか殺さざるべきかで言えば、殺すべき相手である。それでも、そこには厳粛さが求められる気がしてならない。悪人が殺されたニュースに、「死んだ死んだ」と手を叩くのは、修羅の心ではないか。人の心とは思えない。それがISの指導者であれ、金正恩委員長であれ、死を望むのは仕方ないが、死を楽しんではいけない。それは人間社会を蝕んで行き、いつか社会を朽ち果てさせる。自分にはそう思えてならないのである。

 なお、バグダディ容疑者については、これまでも何度か死亡説が流れている。今回のロシアの発表が当たりかハズレかは、しばらく様子を見る必要があるだろう。

※ バグダディ容疑者については、生存を示す映像が今年の5月に出て来ました。やはり死んでいなかった模様です。この先も死亡情報が何度も流れるのではないでしょうか。
 なお、私が何故こんなに風俗について熱弁しているのかは内緒です。

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