二年前の日記 7/23

2017/07/23

 歌手で作曲家の平尾昌晃氏が亡くなった。79歳だという。うちの母親と同い年だ。そんなことで親近感を覚えても仕方ないのだが。

 平尾氏といえば、作曲家として数多のきら星の如き名曲がその作品には並ぶ。Wikipediaでざっと見ても「二人でお酒を」「グッド・バイ・マイ・ラブ」「夜空」「瀬戸の花嫁」「うそ」「カナダからの手紙」「霧の摩周湖」などなど。いちいち書いてたらキリがない。

 必殺シリーズのサウンドトラックもやっているし、アニメソングも書いている。星の子チョビン、宇宙海賊キャプテンハーロック、銀河鉄道999。

 個人的に一番好きな曲を挙げるとするなら、銀河鉄道999であろうか。あの寂しさと切なさを感じさせる、それでいて未来に希望を感じワクワクする、魔法のようなメロディは他にはない。もうあんな曲は生まれてこないのだなあと思うと悲しくなる。とはいえ残された名曲たちは今も、そしておそらく未来においても輝きを放ち続けるのだ。創作を志す者としては羨ましい限りである。ご家族にはお悔やみ申し上げる。


 今度は秋田で記録的大雨だという。さすがに先般の九州北部レベルの豪雨災害は起きてはいないものの、この夏は記録的大雨があちこちで頻発している。この間も書いたが、雨はただたくさん降るだけで被害を呼ぶ。大雨なんて家の中に居れば大丈夫と思ってしまいがちだが、台風でも地震でも崩れなかった山や堤防が崩れたりするのだ。なるべく早め早めに避難して頂きたい。


 同居していた母親が死亡したのに届け出もせず放置したとして、死体遺棄の疑いで46歳の男が栃木県警に逮捕された。調べに対し、「金がなく葬式ができなかった」と答えているという。

 自分には何ともタイムリーな話題である。男のやったことは人として子として、非難されてしかるべきものではある。だが気持ちはわかる。葬式は本当に金がかかる。ていうか、なぜ金をかけなければいけないのか、サッパリわからん。結果的には自分たちは母親の葬式を出したのだが、正直不本意である。なぜ人が死んだら最初に葬儀屋に連絡しなければならないのか。これは行政の怠慢ではないのか。

 たとえば人が死んだらまず行政に連絡すれば医師を派遣、死亡を確認した後に火葬場の手配がされる、というシステムであるなら納得もできる。つまりこのシステムなら、葬式をしたい人間だけが改めて葬儀屋に連絡すれば良いだけだ。だが実際には社会全体が、葬式をすること前提である。死ねばまず葬儀屋に連絡し、葬儀の内容を決めねばならない。そうしないと何も進まないのだ。なぜだ。どうして葬儀屋という民間企業が行政サービスの一部であるかのように振る舞わねばならないのか。これは極めておかしなことである。

 今回のこの事件は、アパートの窓にハエがたかっていたことを管理者が不審に思ったことから発覚したのだそうな。死んだ母親もまさかこんなことになるとは思ってもいなかったであろうが、今後こういう事件は増えていくだろう。いい加減行政は、「死」の処理という面倒で厄介な仕事を葬儀屋に丸投げするのをやめて、率先してことに当たるようにしてほしい。人が死んでも葬式をしなくて済むように制度を整えてほしい。

 行政のせいで死体遺棄事件が増えるのをこれ以上放置すれば、いずれ社会秩序が混乱する。どんなに金がなくても、人は死なねばならんのだ。それを前提とした社会になることを心より願っている。


 いかに自分が世間に疎いからといっても、ジャスティン・ビーバーの名前くらいは知っている。アメリカを中心として世界中で人気だということも知っているし、日本でCMに出ていたことも知っている。しかしどんな歌を歌うのかについてはまったく興味がないので、現在もこれからも知ることはないだろう。

 そのジャスティン・ビーバー氏の北京市での公演はあり得ないと、北京市当局が公式に表明したという。まあ普通に考えて、北京がダメなら中国国内どこでもダメなのだろう。ダメな理由としては、ジャスティン氏の過去の素行不良を挙げているらしい。彼がヤンチャをしているとは聞いていたが、ここまでハッキリダメ出しをするということは、北京市当局の担当者は、少なくとも自分よりは芸能ニュースに詳しいのではないか。なかなか良いご身分であるな。

 しかし素行不良で公演ができないというのは、何だか中学校の文化祭のようにも思える。さながら当局は生徒指導の先生というところか。自国民だけではなく海外の芸能人の素行まで監視してくれるとは、その至れり尽くせりの当局の対応に、中国市民は感激に涙がちょちょ切れているところであろう。なんとも住みやすそうな国である。

※ 平尾昌晃氏が亡くなったのも2年前でしたか。銀河鉄道999の主題歌は本当に大好きな曲です。良い時代を過ごさせて頂きました。
 親が死んでいるのに子どもがそれを放置する、という事件は、もうありふれたものになりつつあります。行政がやり方を変えない限り、増え続けると思うのですが。

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