欠点を愛せたら、本物の愛
お暑うございます。ウーズィーです。
本日は、誰しもが有する欠点の解釈について述べて参りたいと存じます。
唐突ですが、「侘び寂び」という言葉をご存知でしょうか。貧祖で静寂な趣の中に美を見出す、我らがニッポンの、何とも高尚な感性でございます。岩に苔が生えているだけで、美しいと感じる事ができる、素晴らしい心。って言うか、ここ数年とりだたされてるミニマリストとか、元々は侘び寂びじゃないかなって思うくらいに前衛的な感覚だと思うのです。シンプルで控えめだけど素材の良さが引き立つ。そう、なんか北欧インテリアとか、古民家リノベとか、あの感じです。見る人によっては、「古い、汚い、不便、面倒臭い、地味、、、」という印象なのです。
これは、人にも言える事なのではないかとワタクシは考えています。
例えば、頑固昭和親父のこずるい性格や最低な趣味、港区女子の虚勢やアプリ加工前の素顔。このような、ちょっとマイナスな個性を現代の「ワビサビ」と呼ぶのではないかと思うのです。
もちろん、それらを「古い、ダサい、汚い、、、、」等々、認められないことは至極通常だと思います。ただ、岩に生えた苔を美しいと思うように、趣があると捉えれば、世界は変わるのではないか。人の欠点って愛するべきポイントなのではないかって
ちょっと考えた次第でございます。
ウーズィーより愛を込めて
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