接種者・未接種者で分断なんかしていない。これは、「自分の意思で生きたい側」と「思考停止のままでいたい側」を対立させる作戦。
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こんにちは、文筆業の藤沢優月です。
ずっと、違和感を覚えていました。
それは、こんな言葉・概念に対しての違和感です。
「この、『ワクチン接種』事案」
「それは、接種者と未接種者のあいだを、分断させる作戦」
ところどころで、野放図に聞く言葉に、疑念を覚えていました。
「本当に、そうだろうか」と。
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今回の、いわゆる "コロナ騒動"。
いえ…… "ワクチン騒動"。
いたるところで、このような言葉を聞きます。
「これは、接種者と未接種者のあいだを、分断させる作戦」と。
ところが、私の周りでは別に、分断は起こっていない。
接種者・未接種者ともに、お互いの健康を願いながら情報を分け合い、仲よくしてます。
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そうではなく、きっと、こういうことなんじゃないかな。
誰かから発せられた言葉を「うのみ」にせず、冷静に立ち止まって、丁寧に考えてみる。
すると、違う世界が見えてくる。
「これは、自分の意思で生きたい人間と、思考停止のまま、国とか政府とか、『誰か』にぶら下がったままで生きたい人間の、分断作戦」
これなら、心当たりです。
打ったか、それとも打たないかに関わらず、この分断なら、あると感じる。
ちなみにこの分断は、今回の "ワクチン騒動" に関わらず、はるか以前から存在している。
それが、今回の "ワクチン騒動" で、一気に顕在化しただけだと思う。
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あらためまして、今回の "ワクチン騒動" が厄介なのは、こういうところだと思う。
「人間に与えられた、権利と自由を、強制的に奪うこと」
「生き方を一律・一方的に決め、"全員同じにせよ" と、強制してくること」
いわゆる「ワクチンパスポート」や「強制接種」の問題点は、ここだと思う。
この世界には、自分の意思で、自分で決めて生きたい人間がいる。
だってこれは、あなたの人生だし、私の人生ですもんね。
自分の身体や心、自分に与えられた時間を、どうしたいか。
それを、自分で決めるのは、当然の権利。
この記事を読みに来てくださったあなたも、そう考えるタイプだと思う。
……重ねて、打ったとか打たないという表面上の事実とは、一切関係がなく。
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そんなあなたには、信じ難いかもしれません。
私もまた、信じ難いです。
この世には、自分の意思で生きたくないという人間もまた、存在する。
しかも、けっこう人数。
どう生きるかは、誰かに決めてほしい。
たとえば、国とか政府とか、権威とか。
自分で考えるのは、めんどうで重いので、そういうことはやりたくない。楽しいことだけ、考えていたい。
だから代わりに、「次に、どうすればいいのか」を決めてほしい。
指示してもらえたら、従うから。
自分が間違ったのは、指示した人が間違ったから。
(指示が正しかったら、自分は間違わなかった)
だから、「ワクチン」が薬害になったら、それは国のせい。
国のせいだから、国が、何とかすべき。
他のことも同じように、誰かが何とかすべき。
・つまり、人生の責任を取るのはいつも、自分以外の「誰か」。
こういう思考の人もまた、けっこうな割合存在するのが、この世界。
(あなたの周りにもきっと、いますよね)
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人は、思考停止のまま生きてしまうと、そのレールから、なかなか降りられなくなる。
誰かに人生の権威を預けて、一定期間が過ぎてしまうと、現実もまた、その価値観によって、作り固められてしまうから。
そんな中で、
「この選択(ワクチン接種)は、間違っていたかもしれない」
こう気づくこと。
これを、別の言葉で言えば、
「国や政府は、自分たちのことを、想っていないのかもしれない」
「もしかして、国に嘘をつかれた?」
「この世には、巨大な嘘や、欺瞞・騙しがある?」
「それなら、自分の今までの人生選択は、もしかして、土台から違っていた……?」
こう、認めることになってしまうかもしれない。
人生が、文字通り、土台から揺らぐ事態になる。
だから、そんなことは認められない。
考えたくもない。
考えてしまったら、今日を生きられなくなる。
だから、頭をよぎることも、許したくない。……こういう人なら、重ねて、いっぱいいると思う。
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平たい言葉で、この流れを、わかりやすく表現してくださっている方がいらっしゃいます。
表現を、お借りします。
「自分の人生を、代わりに、誰かが決めてくれる」
「誰かが、自分の代わりに守ってくれ、責任を負ってくれる」
著者である私の周りにも、「他者を権威とし」「思考停止」したまま、忙しく今日を生きている人が、山ほどいます。
(誤解のないようにですが、いわゆる「いい人」もいっぱいいます。
だから、とても悲しい)
それでも、"ワクチン" 以前は、波風も立たなかった。
人生は、人それぞれ。
だから、その人が何を選び、どう生きるかは、その人次第。
選択の結果を引き受けるのも、もちろん本人だから。
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著者は、ずっと、こういう考えです。
「人は、変わらない。変えることができない」
「変えることのできる人間は、唯一、自分だけ」
権威に猛追し、思考を停止して、「政府が」「国が」と言っている人たち。
あるいは、
「仕事が忙しいから、時間がない」
「現実として、仕方がない」
大人として、立派でもっともらしいことを言うこの人たちが、今後も変わることは、おそらくないだろうと思う。
私は個人的に、「関わらない」と決めている。
理由は、この段に及ぶと、とても危険だから。
その人たちに関わったら、おそらく自分まで一緒に、死の淵をのぞくことになるかもしれない。ここまでレールが違ったまま、長い時間を生きてしまったら、思考停止のまま、自分自身につき続けてきた小刻みな嘘や、幾多の小さな違和感の大山を抱え、目をつぶって突き進むほうがマシと考えるかもしれないから。
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「接種者と未接種者が、分断されている」
こんな嘘を信じるのは、だから、私はやめたい。
そんな分断は、存在しないと思っている。
こんな嘘を信じ込んだら、それこそ「思考停止」に陥ってしまい、思うつぼ。
だから、絶対にやめたい。
代わりに、思考停止を嫌い、「何が何でも、自分の意思で決める人たち」と連帯したい。
この人たちが、この先を、一緒に生きてゆく仲間。
「真実に直面し、悩み、試行錯誤しながら、勇敢に生きてゆく」
この人たちが、決して分断されていない、私の仲間。
それでは、また。
コーヒーのお代わりを奢っていただき、ありがとうございます。 おかげさまで、とても元気が出ています。 これからも、あなたと、あなたの大切な人の安全のために、心を込めて情報を届けさせていただきます。 いつも、ありがとうございます。あなたにも、心からの感謝を。 (ONSA 藤沢優月)