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生きるための「智慧」や「手段」。何と多くのライフスキルを、知らぬ間に奪われていることか

こんにちは、藤沢優月(文筆業)です。


「装備」という視点をつうじ、生き残る力(=ライフスキル)を見ています。
回数も、だいぶ積み重なりました。


ひと固まりずつの記事を見てゆくと、こんなことを思います。

「もうすでに、何と多くの智慧や手段を、奪われていることか」
「どの知識も、人(ホモ・サピエンス)として生き残る上で、必須なのに」
「しかも、取り去られているという事実にすら、気づけていない」


今日も、表面上は平和で、なにごとも起こっていない。

ごはんのメニューを考え、すきま時間で、動物情報に目をとおす。
(私は犬が好きだけれど、猫情報にも、とても弱い)

日常は、いつもと、変わらないように見える。
きっと、これが、危ないんだな。

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かつて、48 | 洗脳だと気づかれぬよう、こっそり権利侵害を行う手口[書籍『普通の人々』]」という記事の中で、扱いました。



自分たちは、人間という「動物」なのだという、基本的なことを忘れる。
いつの間にか、生存本能を忘れて、日々を暮らしてしまう。

生きるための "めんどう" は、誰かが見てくれると錯覚する。

たとえば政府や国、行政が、そうしてくれる。
自分は、税金や年金さえ納めてさえおけば、代わりに、どう生きればいいかの道を敷いてくれる……。


こんなふうに、錯覚がはじまると、まずいことになる。
知らないうちに、じりじりと1ミリずつ、生存本能を削られる。


1ミリずつ、押される。
権利を、侵害されてゆく。
でも、1ミリずつだから、注意していないと、気づくことができない。

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生存本能が麻痺している人間は、容易に、おとしやすい。

たとえば、ヒトという動物として生き残るための、具体的な智慧や手段を、1つずつ取り去ることが、容易にできてしまう。
1本ずつ、気づかれないように、羽が抜かれてゆくように。

生存本能が麻痺しているなら、害されていても、気づくことができない。
野生を忘れてしまった鳥が、生き延びるための感覚が、わからなくなってしまうように。


これは、とても危ない。
でも、当事者側は、起こっていることに、気づくこともできていない。

……今起こっているのは、大きく言えば、こういうことですよね。

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自分は、言われた通りにさえ、働いていれば。税金や年金を納めてさえおけば。国の敷いた、模範的な生き方のルールや、理想的な生き方にさえ沿っていれば。
そうすれば誰かが、どう生きればいいかの道を、示してくれる……。


この考えは、最初から幻想だった。
その幻想が、今や現実的に、破綻しようとしている。

この破綻を "感じられて" いる人は、幸いだと思う。

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この、見えづらい状況が、少しでも多くの命に響きますように。

「あなたの命は、あなたが守る」
「そのための、具体的行動がとれる人も、あなたしかいない」


これが、事実であり現実。
自分の命なら、自分……あなた自身が助けられる。

コーヒーのお代わりを奢っていただき、ありがとうございます。 おかげさまで、とても元気が出ています。 これからも、あなたと、あなたの大切な人の安全のために、心を込めて情報を届けさせていただきます。 いつも、ありがとうございます。あなたにも、心からの感謝を。 (ONSA 藤沢優月)