あり得ない日常#88
「昔は人を雇うのも雇い続けるのも神経を使ってたなあ。」
「やっぱりそうでしたか。」
タクシーの助手席に座る藤沢さんが社長にそう返す。
あれから、由美さんと藤沢さんでひとつの会社を社長の下で設けるということで話が進んだのだ。
由美さんがひたすら進めてきた記事やら写真やら、また多数の読者からのリアクションを含めたデータ資産を会社が引き受ける代わりに社長が出資するという形で進めることになった。
設備の管理は引き続き親会社がしばらく管理をするが、中身のサービスについては由美さんの個人から団体まで広く使われやすいものを中心に入り口を整えて、藤沢さんがその構築を手伝いつつ利用者の拡大を社長としてやっていく手はずだ。
そのうち、設備自体も業務委託という形で任せるという。
藤沢さんの仕事と由美さんの仕事をそれぞれまた会社にしてしまえば、より管理がしやすくなるだろう。
皆それぞれがただの従業員の立場から経営者へと変化していくわけだ。
「やっぱり、最低給付保障制度が大きかったんでしょうね。」
「大きいというより革命だったよね。社員も年金や健康保険料を出していたけど、会社だって同じ額出さなきゃならなかったからね。手続きだって入りも出も大変だったよ。今思えば、よくやってたと思うよね。」
「今は違うんですか?」
「戸籍も行政が電子管理してるから24時間対応できるし、戸籍があるならベーシックインカムがあるから辞めてもらうのも簡単になったからね。」
「電子管理といえば、うちのシステムのお客さんでもありますね。」
「そう。ありがたいよね。」
21世紀初頭のいわゆる"大きな政府"から、コストパフォーマンス重視の"小さな政府"に大きく動いた。
度重なる大きな災害や、気候変動による低地の消失から、住む場所どころか食べ物すらも窮する事態になり、当然それは日本だけの話では済まず、各々の国で何とかしなければならない中、利権だなんだと言っている場合ではなくなったからである。
人口減少に悩んでいた日本にとってはむしろ都合がよく、明治時代と同じくらいの人口、つまり最盛期の5分の1程度にまで減ってしまった今の日本にとっては、抱えていた高い教育や技術水準が幸いして早々に問題を解決するに至った。
最低給付保障制度を導入するにあたっては、日本人ではない人間に給付をするのはおかしいという至極もっともな前提に基づいて身分証明書と戸籍の管理を徹底せざるを得ない。
移行期間においては、健康診断の際に行う血液検査からDNA鑑定を行うなどの厳しい調査が秘密裏に行われるほどだった。
その結果、日本人のフリをした様々な人たちは、本来いるべき郷に帰るか、移民に寛容な国の国籍を取得してから再入国するか選択を迫られていて、今もなお裁判で争っているという。
滞在費用は自費で賄う必要があるため、負担できなくなった者から去っているが、労働目的での滞在は税金を納めれば認められるので、おとなしく従う者が多数派であるのが現状だ。
世界的に見ても、ようやく普通になったのだろう。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在する人物や団体とは一切関係がありません。