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ネットの匿名性という消極的な自由
「ネットは自由なんだから」
そんなニュアンスのコメントを、ぼくの2,3週間ほど前の配信で誰か(Aさん)がした。
それを不意に思い出した。頭から離れてくれないから、今言葉にして外に出してる。
その言葉は、Aさんの「自分は9歳だ」というコメントに対して、別の誰かの「TikTokって年齢制限あるんじゃない?」というリプへの返事だった。
「ネットは自由なんだから、年齢なんてどうだっていいでしょ」
TikTokに年齢制限があるかどうか僕は知らない。今も知らない。必要な時に知ればいい。なので、それに言及はしない。
僕の頭のなかでグルグルしてるのは、「ネットは本当に自由なのか?」ということだ。
コメントを貰った当時の僕は、確か
「ネットは完全な自由ではないよ。年齢の話を一度でもしたら、ダレカは君の年齢について言及することができるようになってしまう。自由でいたいなら、そもそも年齢の話をしない方がいい。」
みたいな事を言ったと思う。
今もその考えは変わらない。
けれども、不意にこの出来事を思い出したということは、未だに消化しきれていないという事だろう。
だから、久しぶりにnoteを書いている。
そもそも「自由」とは何か?
哲学的な問いなので、一旦置いといて、
ネットの匿名性における「自由」の例を挙げてみる。
・自分の素性を隠せる、偽れる
・内容の良し悪しに関わらず、好きに発言できる
あとは…、少し考えてみたけど思い浮かばない。他に何かあったとしても、匿名で得られる「自由」は大したことないと思う。
(ビットコインの開発者サトシ・ナカモトや、アーティストのバンクシーの場合はどうかと言われると、今は、一般人のケースを考えてるので許して。)
僕がとりあえず挙げた2つの自由にしても、代償に不自由を負うことになる。
(ただし、「自由」の定義がまったくできてないので、不自由の定義も当然できてない。まぁ、制約的なものでいっか。凄く適当な文章だなー)
・素性を隠した場合は、その要素に触れる発言ができない。素性を偽った場合は、その偽の素性を通さないといけない。
・好きに発言はできるが、発言に責任を持たないといけない。一度した発言はデジタルタトゥーとして永遠に残る。また、最近ではネット誹謗中傷で逮捕されるということは珍しくない。
…うーん、こういう自由は自由でも大したことない自由のこと、なんていうんだっけ…、
思い浮かんだ言葉を、ググり続ける
閉鎖的自由?ー該当なし
不自由的自由?ー該当なし
小さな自由?ー該当なし
弱い自由?ー ハイキューという作品の「強いって自由だ」のコマが出てくる。割と関係するワードだけど、違う
…消極的自由!!
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/消極的自由
消極的自由/積極的自由という言葉をみた瞬間に、さっきまで頭の中でグルグルしてたものがさっぱり消えました。
あれこれ考えてたことも、この2つの言葉駆使したら、いい感じに文章に纏められそう!!
こうして、noteに文章を書く準備ができたわけですが、僕は2つの言葉を思い出した事によってもう既に満足してしまっていました。
…文章化するの面倒くさい。
自分の頭のイメージを直接送信したい…、
この気持ちが湧いてきたら終わりです。
強い意志がなければ、文章を書くことはできません。眠いです、意志なんてないです。睡眠欲だけです。少し寝ます。ごめんなさい
このあと何書こうと思ってたかと言うと、
ネットですぐに得られる自由なんて消極的自由であって、
新しく自由を手に入れる度に何らかの不自由は必ず負うし、
積極的自由を得るためには地位や名誉、力が必要だよって話です。
結局リアルと一緒じゃん…ってなるかもだけど、ネットはリアルより負う不自由を選ぶ自由があるんじゃないかなーと思います。
見せたいところだけを見せられるからね。
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