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あり得ない日常#20
「そろそろ到着されるのでお迎えしましょうか」
周囲は林、というよりは森に囲まれた、街はずれの山のふもとと言ってもいいこの場所は、自然の香や鳥の囀りで満ちている。
少しずつ風向きが北風になりつつあるこの肌寒い季節は、施設の中にも木の葉が舞い降りて入り込んでくる。
それらを掃いていると、呼ばれて次にやることのお声がかかったので、はいと静かに返事をする。
正面で担当の同僚と厳かに、姿勢を正してお迎えする。ほどなくしてゆっくりと車列が敷地に入り、目の前でキッと停まった。
荷台の扉を開けると、ご遺族が神妙な面持ちで集まる。
人間一人がきっちり納まるようなずっしりとした箱をみんなで運び出す。
木々が、木の葉が風と共にさらさらという音だけが響き渡る。
森の香りもするが、何か焦げた、脂っこい煙のような香り。
「では、こちらへどうぞ。」
大きな煙突を備えた施設の中は広く、設備は3台。
その中の1台へと運び入れを完了する。
同僚がご遺族にこれからの流れを説明し始めた。
「これから火を入れまして、お時間は、、」
そしてその時は訪れる。
日本では火葬が一般的だが、世界を見渡すとそれを忌み嫌う宗教も多い。しかし、それでもかつてエルサレムの奪い合いでは、死者の魂が迷うと批判されつつも、伝染病を恐れて火葬したという事例もあるようだ。
数時間後、ご遺族とともにそのご遺体と向き合う。
幾多のご遺体と向き合い、この仕事にもようやく慣れてきた。
あれから七年が経とうとしている。
娘だと言われた遺体と警察署で向き合った。
私の目に飛び込んできたその姿は、あの先輩、時間が経つごとにあの彼にどんどん似ていく姿だったとは思えない、とてもかけ離れた姿で哀しく横たわっていた。
涙が出なかった。
私が18歳で産んだ娘。
毎月の事を忘れていることを思い出し、不思議に思いながら、お風呂の鏡に映る自分の姿を見て何が起こっているかに気づいた。
そして、唐突に訪れた大事に、どうしたらいいものか親に言わなければと私の脳は私に告げるものの、しかし、よくよく考えてみれば、つまりそれは、そうしていた事を併せて白状することを意味する。
言い出せずに先延ばしに、先延ばしにするにつれてお腹が重たくなる。
授業の内容なんて記憶に残っていない。
ただその一方では、あの先輩との命が私の身体の中に宿っている事の喜びは、何と表現していいかわからないくらいに嬉しかった。
そうだ、先輩に言わなくちゃ。
頼るなら父親の彼しかいない。
そう、このことを喜んでくれるのは唯一、父親である彼しかいない。
それだけが、それだけが私にとって、たった一つの救いの道だったのに。
しかし、そう一度確信したはずの期待はなぜか裏切られた。
自分の子ではないと言い出したのだ。
そんなわけがない。
私は先輩としか向き合っていなかったのに。
そんなはずがない。
こんなの現実じゃない。
為すすべなく、確実に大きくなっていくお腹を母に気づかれてしまった。
せめて自分の口から打ち明けていたら、どんなに良かっただろうか。寡黙な父は、私が知る父とは思えない怒りようで、母はただただ泣くのみ。
どうしてこうなってしまったんだろう。
受験どころの騒ぎではなくなってしまった。
私はあの先輩が、彼が逃げたとは到底思いたくはなかった。
その先の記憶はあいまいなものだが、覚えている限りでは父に連れられアルバイト先のコンビニへ行くが、先輩はもうすでに辞めていた。
私が事情を話すと、店長は先輩の履歴書に書いてあった実家へ連絡した。
車で1時間ほどだと言うので、もうすぐ深夜帯の時間だったが、あまりの惨状に父は激怒しており、すぐに出てくるようにと呼びつけたのだった。
先輩は一人で姿を現すことはなく、先輩の両親がコンビニに到着すると、店長はお店で話すのは勘弁してくれと、警察を呼ぶことになると言う。
先輩の一人暮らしのアパートでまずは話すこととなった。
驚いてやってきた先輩の両親だったが、私の姿を見るや、本当にうちの子の子供なのかと疑っていたらしい。
確かに、先輩にもはじめてだったことを驚かれたくらいには少し派手な格好をしていたと思う。
しかし、流行っていたガングロギャルほどではない。
さすがにあそこまでする勇気はなく、先輩に嫌われたくない事もあって、学校の今のグループに馴染めるくらいの少し背伸びをしたつもりだった。
それが裏目に出た。
コギャルが流行っていた当時の社会では、乱れているという認識がどこか常識のようになっていて、他の男じゃないのかという話になったのだ。
私はもちろんそれは酷い、先輩の子供で間違いが無いと言うしかないが、父も母も一瞬どうなのかという疑いの間が入ったのはショックだった。
お隣からうるさいと苦情が来たので、やむなく先輩の実家に揃って向かう事になった。
そこからが大変だった。
大人の今になって言えることだが、なぜ第三者を挟んで話し合わなかったのかと思う。
せめてそうしておけば、もう少し違う結果になっていたかもしれない。
すでに、お腹の子は大きくなっていたために、中絶は無理だということもわかった。
もう少し私が早く両親に相談をしていたら。
そもそも、先輩に身体を許していなかったなら。
ところで、学校の同じグループにいた同じコンビニで働いていた同級生だが、彼女も先輩と一緒のタイミングで辞めていたらしい。
本当のところは結局どうなのかわからないが、私の妊娠がわかってからというもの、私の様子を彼女から聞いていたらしい。
彼女はもともと先輩が好きだったらしく、その後は考えたくもない。
私は学校にもいられなくなってしまった。
先輩の実家では、気づいたら大騒ぎになっていた。
客間の窓ガラスは割れ、母は大泣き、先輩は姿が見えず、ソファーと絨毯は燃えている。
夜明けが近づく中、静まり返った閑静な住宅地にパトカーと消防車と救急車が集まる中怒号が飛び交うという、まさに地獄がこの世にあるのなら今この場がそうだろうと思える光景だった。
父は連れていかれ、私たちも事情を聴かれるが目にしたことを言うしかない。事情も話すが、じゃあ仕方ないねで済むわけがない。
父は拘置所の中で首を吊った状態で発見された。
私は無事に出産を終えたが、DNA鑑定なんてまだ世に知られておらず、精度も低かった時代の話、私たちにはもう文字通り居場所は無かった。
人が恐くて仕方がなくなってしまったのは、言うまでもないだろう。
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この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。
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