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あり得ない日常#42

 気持ち悪い人は、何をやっていても気持ちが悪い。

 こればかりはもう仕方がない。

 ナトリウムと水のように接触してはならず、混ぜてはならない洗剤同士を混ぜてはならないと割り切るしかない。

 気持ち悪いのは、自分の何かが警告を発しているのか、ただの拒否反応なのか、いずれにしてもその対象物や状況から一刻も早く距離を置くべき状態なのは間違いないだろう。

 なぜそんなに気持ちが悪いのかと、その不快感に対する損害賠償を請求したいくらいになる。

 同じ空気を吸っていると思うと気持ちが悪いし、同じものを使っているとふと認識してしまうだけでも気持ちが悪くなる。

 どこまでも気持ち悪いのだ。


 このように、相容れない人物というのは必ずいる。

 すべての人に好かれることが無いように、自分もすべての人を好きになれるわけではないから当然だろう。

 大事なことは何だろうか。

 適切に一定の距離を置き、可能な限り関わらないようにする事だ。

 それは生理的にやむを得ないことであり、関わらない自由と言えるかもしれない。

 知性が足りなければ、それは差別だと考えるかもしれない。

 しかし、これにはすでに述べた理由から十分な定義が存在する。

 

 区別だ。


 気持ち悪いなどの負の感情を常に持っている相手に対しては、何かにつけてケチをつけたくなるものだ。

 視界に入っていると拒絶反応が起こる。

 無駄な争いを避けるためにその場から速やかに離れる必要があるだろう。

 国境がなぜ存在するか。
それは究極、無駄な争いを避けるためにある。


 安易に気持ち悪いという事はない。

 気持ちが悪い人物というのは、見た目、内面と気持ち悪さが出ている。

 ゆえに、気持ち悪いと直に言う時は本気である。


 もはや、頭の良し悪しは関係がない。
生理的に受け付けない、気持ちが悪いからだ。


 気持ち悪い人物は、気持ち悪い人物同士で気が合う事だろう。

 どうでもいいが。

 子孫はもしかしたら、メンデルの法則によって奇跡的に気持ち悪くなくなるかもしれない。

 その数百年後か数万年後かの奇跡に賭けて生きているのかもしれない。

 不特定多数が集まる場所には、現実でもサイバーの世界でも関係なく、完全に区別できる仕組みを必要とする。

 無用で悲劇的な争いを避けるためだ。


 気持ち悪い人物を駆逐できればいいのに。

 ヘッドショットを決めてやる。


 ようやく彼らに判決が出た。
重大で悪質だとして、裁判所は彼らにそれぞれ懲役三十年の判決を下した。

 性犯罪で疑いの余地もないため、それぞれ去勢が行われる。

 また、最低給付保障制度の給付金の重みは生涯 0.7 とされた。

 最低給付保障制度で給付される標準額の70%しか毎月生涯支給されないという重いものになった。

 もし、出てこれてもそれで生活が出来ないのであれば、一生働くか任意で刑務に志願するしかないだろう。

 さもなければ、警察署の地下施設が待っている。


 由美さんが泣きながら教えてくれた。

 由美さんにとってはお父さんであるおじいさんが、亡くなったらしい。


 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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