あり得ない日常#75
「お、来たね。」
自分の仕事を片付けて訪れた"本社"の事務所に入ると、社長が自身のデスクから声をかけてくれた。
お疲れさまです、と挨拶を交わすと藤沢さんの姿を探す。
「ああ、今レンタルスぺ―スに迎えに行っているところだよ。」
あれ?どなたかご一緒なんですか?
「そうだね、まあちょっと待ってね。」
レンタルスペースは会議室や作業スペースを時間単位で借りることのできるサービスだ。
雑居ビルを改造したもので、1階の受付を済ませると2階のオープンスペース、3階より上は事務所として月単位で借りることが可能な個室スペースも備えている。
何より、デスクが備品として備え付けられているのが特徴で、申請すればインターネットに接続できるマシンも貸してもらえる。
スタートアップや会議室だけ借りたいという場合、また資金繰りに厳しくビジネススペースを自身で持つことが出来ない人や、そもそもそういったスペースが日常的に必要ではなく、たまに借りたいという人たちに重宝されている。
あれ、じゃあわたしがそっちに行けばよかったのでは、そう口に出そうかとしたところでちょうど帰ってきたようだ。
「お疲れさまです。あ、こちら入ってもらって。」
社長も席を立ってその人を迎え入れる様子だ。
新人さんだろうかと思っていた矢先、見覚えのある雰囲気の女性課と思いきやそれどころではない。
他の誰でもなく、由美さんである。
え?っともちろん驚く。
「あれ?どうして?」
藤沢さんが紹介しようとしたところで、明らかに初対面のはずの2人がそうではないことに気づいたようだ。
「ひょっとしてお知合いですか?」
知り合いも何も、お隣さんというか家族ぐるみの付き合いだったというか、帰ったら一緒にご飯を食べるような家族みたいなもんです。
思わず早口で話してしまうほど、意外な展開だった。
社長もおやおやと状況を理解したのだろう。
「世間は狭いもんだねえ」
普段自宅で記事を書く由美さんだが、おじいさんもまだ元気だったころからそのレンタルスペースをとてもよく利用しているという。
それだけではなく、そのレンタルスペースの運用会社は、経営相談事業にも取り組んでいて、1階の受付のフロアにはマーケティングや統計、事業計画の専門家が詰めている。
また、税理士や弁護士などにもパイプを持ち、必要であればいつでも相談ができるような体制も整えており、由美さんの友人がそこに勤めているということもあって、たまに情報収集を手伝ったりしている。
また、様々な人との出会いやつながりから聞いた話や社会の問題をテーマに記事を書いている、と由美さんが自己紹介をした。
藤沢さんもレンタルスペースを最近利用し始めたらしく、オープンスペースで由美さんが使う端末の調子が悪くなって困っていたところに声を掛けたことがきっかけで知り合ったらしい。
わたしと言えば、この意外な展開にただただ驚くばかり。
「じゃあ由美さん、これからどうぞよろしくお願いします。」
社長のこの挨拶で、新しい何かが始まったようだ。
※この物語はフィクションです。登場する人物や団体は架空であり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。