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あり得ない日常#1

「おや、お出かけかい?」

 声の跡をたどるように顔をあげると、お隣のおじいさんだった。

 ええ、今日は出勤の日なんですよと言うと「偉いねえ」と、落ち葉を竹ぼうきで掃きつつ声をかけてくれる。

「気をつけてね、いってらっしゃい」

 実に、昔ながらの一軒家が立ち並ぶ住宅街の光景として申し分ない。

 行ってきます、そう言うと手を振って応えてくれた。

 近くの駅まで10分程度を徒歩で向かう。最初は自転車を使うかどうか悩んだが、まあいいかと踏んで以来そのままだ。

 昔は電車も過密ダイヤで、数分待てば次の電車がやってくる、それはそれはすさまじい狂気じみた光景だったらしいが、今では信じられない。

へえ、こんな曲出たんだ。

 電車の中でポケットに忍ばせておいたカーボン製の塊に、まるでガラスのような表面のクリアな白地のバックライト上に表示されるアーティスト特集に夢中になる。

 軽いが丈夫だ。

 ずいぶん昔に、荒れ果てた大地に菌が覆う世界、そしてその菌が長い時間をかけて作り上げた森を守るべく、虫たちがいたるところで活動している映画を観たことがあったが、その中で表現されるセラミックのようなものだ。

 落としたところでびくともしない。

 小さなマグネットのようなものをこめかみに着けると、まだ聴いたことの無い最近発表された曲が脳に伝わってくる。

 こうやって曲を聴きながら、電車がレールの継ぎ目を滑りゆく音も併せ聴くのがわたしの楽しみだ。

 電車は連結両数も多いこともあって、座れない事はない。

 裏ではうまく需要を計算して、日々車両の数を決めているらしい。

 誰がどこまで移動するのかというデータは最低限、行政が管理するサーバーが収集して提供しているため、サービスはどこも水準が高い。

 あまり慣れすぎると、海外に行ったときにストレスを感じることになるので、当たり前だと思わないように自分を保つのが割と大変だったりする。

 例えば、至れり尽くせりなトイレに慣れていると、昔ながらの汲み取り式トイレに入らざるを得ない時に、その差に苦しむことになる。

 そもそも最低限、紙が置いてあるのだろうか不安だ。

 だが、見てみたい気がしなくもない。

 人間がどういう文化と技術でここまでたどり着いたのか、どうやったら今のような社会が出来上がるのか、とりわけ近代史に興味があるからだ。

 しかし、決して過去のものとも言い切れない。

 地震や津波、これまで幾多の災害に国として遭ってきただろうか。

 わたしはまだ経験はないが、長い事とんでもなく大きな地震災害が起こると学者は口をそろえて言う。

 日本自体が、大きな地球のいくつか大地が乗っかるプレートの境目に位置しているので仕方がないとはいえ、いつ起こるかわからないその時を常に頭に置いておかなければならない。

 それはそれでストレスである。

 かといって逃げ場所はあるのだろうか。

 いや違うな、生き残れるのだろうか。

 そう思いを巡らせていると、車内放送が降車駅にもうすぐ到着することを知らせてくれた。

 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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