見出し画像

あり得ない日常#21

 事件が起こって、
みんなが怒って、
居場所がわからなくなって数年。

 一連の出来事は地元の新聞やテレビでも報道され、近所に取材は入るわ、勝手なことは言われるわで、私たち母娘は住み慣れた土地を離れざるを得なくなってしまった。

 せめて父には、自分がなぜそんな行動をとったのか、公の場で堂々と釈明をして欲しかったと思わなかった日はない。

 でもそれは私の身勝手な言い分だ。
私が原因で父にあんな形で人生を終えさせてしまった。

 死んだ方がマシなんじゃないかと母と話したこともあったが、私たちが悪いのか悔しくてたまらないと母は言う。

 正義とは何だろうか。

 結局、この子の父親である先輩も行方が知れない。


 なにより犯罪者の遺族というレッテルを貼られた私たちには、社会の風当たりはとても強く感じる。

 人が多い都会のベッドタウンでは同じ苗字の人も多く、私たちは隠れるようにひっそりと生活している。


 自宅を売って先輩の実家に与えた損害を支払い、わずかに残った資金で私たちに出来たことは、せめて生活する場所、アパートを借りる事だった。

 保証人なんていなかったから、母と私は別々で住む段取りで安いアパートを探して住み、母はかろうじて見つけたパート仕事で食べ繋いでいた。

 だが、無意識にも噂を警戒する心労も重なって体調を崩して辞めて以来、母娘ともども別々に生活しながら、今では生活保護のお世話になっている。


 産まれたのは女の子だった。

 何かできたのかもしれないが、もうそんな気力は無い。

 そもそもなぜこうなったのか腹が立たない事もないが、母子共々どうしたらいいかわからない。


 お酒は良い。嫌なことを忘れさせてくれる。


 まだ20代の私は街の中で声を掛けられることも少なくない。

 こんな私でも求めてくれる人がいるんだという、あの時ごっそりと失った何かを、形は違えど取り戻せた気がして、過去から解放された気がして、そんな非日常感の世界に私はすっかり浸かってしまった。

 でも、違うパズルのピースはまることなんかなかった。


 気づいたら、わが子ほったらかしで男の家を渡り歩く日々。


 母に怒られてしまう。
でも、あの子の顔を見るとどうしても先輩を思い出してしまう。

 いいや、通帳は母が持っている事だし、私はどうしようもない。死んだとして、父に会わせる顔なんかもうとっくにない。

 ダメな娘でゴメンね。

 ダメな母親でゴメンね。

 なぜか男とけんかして本当に居場所が無くなり、なぜだか深夜の公園でブランコに座って前後に揺れていると、おまわりさんに声を掛けられた。

 秋とは言え、陽が落ちればもうすぐ冬を感じさせる寒さの中。

 もう感覚すらどうにかなっていた私は、交番のストーブの上に乗っかるヤカンから蒸気が昇るのを、おまわりさんが肩にかけてくれたブランケットの温もりさえわからない、ただの人形のようにただただ見つめるのだった。

 私は存在自体が悪なのだろう。


 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

ここから先は

6字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?