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あり得ない日常#45
くも膜下出血、それがおじいさんの死因だった。
80歳をとうに過ぎて眠るような穏やかな最期だったが、表情には出ない苦しさがあったかもしれない。
独身時代が長かったせいか、塩分の多かった食生活だったことは本人もそう言っていたらしい。
由美さんがお母さんに代わって日々の食事を作ってくれることに感謝をして、そんな話をしたのだろう。
血圧も高かったという。
ただ、本人は簡単な薬と治療で良いと言い張り、以来、天気が悪くない限りは外の空気を吸いに出かけるのが日課だったらしい。
外の友人というのも、道端で具合が悪そうにしていたところを声をかけてもらい、水をもらって落ち着いたことがきっかけだったと、葬儀の時に訪れてくれたその人が話をしてくれたのだった。
この時が急性期で、もし本格的に治療をしていたらまだ、その命を永らえたかもしれないが、本人は何となく時期を察していたのかもしれない。
掛け捨てだが医療保険にも入っていたはずなので、最先端の治療でなければ保障されていたはずなのに、自分の身体の自由がきくうちにという思いもあったのだろうと由美さんは言う。
由美さんはウェブサイト運営の関係もあって、近代の社会についてもその時代の人を取材するなりしてよく知っている。
かつての大戦で亡くなった遺族の年金や補償欲しさに、家族が無理やり延命治療を医者にさせていた無茶苦茶な時代もあったらしい。
亡くなると何もかもが無くなるからだ。
場合によっては医者を訴えると言い、半ば脅しである。
また、昔は国民皆保険制度といって、国民は何らかの健康保険に加入をしなければならなかった時代があった。
健康保険料を毎月支払う代わりに、医療を受ける際は医療費の数割を支払うだけで出来るだけ安く医療が受けられる仕組みだった。
当然、現役世代よりも高齢世代になった時の方が病院にかかりやすくなるのだが、平均寿命を超えている患者に、がん治療や投薬、年数千万もかかるような医療を施していたらしい。
確かに、命を救うという使命自体は尊いが、そのリソースを必要としている子供や若者、将来起こり得る災害や対応に当たる部隊に割り当てるよう判断できる仕組みになっていれば、まだ違ったかもしれないという。
それらは取材して調べて報道するメディアの役割りであるはずだが、どういうわけか一部スキャンダルや、どこも似たような同じような内容を末期には伝えてばかりだったようだ。
そうしたメディアに限らず、ネットの動画サイトでも同じようなものだが、広告主の意向が大きく関係してくる。
まだ、大手の企業が広告参入する前は、公共の電波に乗せることは到底出来ないような面白おかしい個人の動画も投稿できていた。
いわゆる動画サイトの黎明期の話である。
しかし、動画サイトがメディアにとって代わるような時代になると、上場企業などの大企業が広告主にどんどん参入してくる。
そうすると、広告主の意向を尊重しなくてはならなくなる。
つまり、それらに反する投稿者は軒並み排除されるわけだ。
そして運営側にとっては収益が将来安泰となる。
むしろ願ったり叶ったりだろう。
しかし視聴者にとっては、つまらないものと成り果てる。
規制や資本が強すぎると、とたんにつまらないものになり、それまでの路線であれば生まれていたであろう新しい概念や、革新的な何かが犠牲になるのだろう。
絶対的君主の顔色を窺わなければならないような管理された環境の国や、それに近い共産体制、これらにも同じようなことが言えるのかもしれない。
正しいかどうかは歴史がよく知っている。
おじいさんは入院生活に備えた話を由美さんに持ち掛けられたときは、とても嫌がったという。
気難しい人ではなく、優しい人なのはわたしも知っているが、大部屋でほかの人と居合わせると楽しく話をしてそうなくらいの印象だったのに、その話を聞いた時には意外に思った。
そのことも、おじいさんが生涯携わってきた仕事と何か関りがあるのだろうか。
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この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。
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