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あり得ない日常#4

 もう桜は散ってしまったが、これから夏を迎える時期というのもあって、そこらじゅうの植物の緑色が日を重ねるごとに鮮やかに見える気がする。

 日焼けをしたくない、というのもあるのだが、普段はあまり外を出歩こうとは思わない。子供の頃よりもさらに日差しが強くなった気がする。

 根っからのインドア派のわたしには少々つらい時期がやってくる。

 昔は、休日という概念があったらしく、それ以外は基本的に生活のためにお金を稼ぐべく、ほとんどの人生を雇用契約で拘束されていたらしい。

 今ほど自動化が進んでおらず、人の手と判断で社会と経済を回さなければならないのだから、そうなるだろう。

 昔の人にこんなことを言ったら、妬まれてしまうだろうか。

 好きで働く人だって今も普通にいるくらいだから、そうしたいと思えばいつでもできる。

 働くというよりは、会社というコミュニティの輪の中に居たいがために、仕事自体に興味は無くても続けている人だっている。

 自動化が主流になった社会でも、空いた時間をぼーっと過ごす人もいれば、自分に出来ることを積極的に見つけて取り組む人もいれば、誰も興味を持たないような事に強い関心を持って、ひたすら自費で研究した結果、世紀の発見をした人もいて話題になった。

 そういえば、昔の映画でタイムマシンを造った変わり者の科学者が、知り合いの少年と意図せずパラドックスを起こしてしまうという映画を観たことがある。

 時間という概念は人間が勝手に作ったものという域を出ていない今も、タイムマシンは存在していない。

 あったなら、その時代の人達の生活とかつてこの眼下に広がる大地の昔の姿と営みを直接見てみたいものだ。

 そんなことを考えながら、住宅地の端っこまでやってきた。

 今は水平線近くに堤防がうっすらと見えるものの、一面は畑と水田ばかり。ちょうど真ん中あたりが秋葉原と言われていたところだろうか。

 あまり地図は得意ではないので、正確かどうかはわからないが、昔の街並みの画像を手元で観ながら、途中で買ったお茶を一口含む。

 今日は気が向いたので、小さな折り畳み自転車に乗り、近所の散策をしているところだ。

 たまにこの小高い丘の上から、昔の市街地だった平野を見渡しにやってくる。ここからの眺めはいつ見てもいい。

 かつて大きな地震があって、太平洋側は津波に襲われたことがあった。

 かつてフクシマという自治体の一部であった海岸線の原子力発電所がその影響で制御不能に陥り、メルトダウンという最悪の状態に陥ってしまった。

 今でもその廃炉作業は続いているが、中心の堆積物を取り除くにはまだまだ時間と高度な技術が必要だと聞いている。

 わたしが生きている間でも完了するのはムリだろう。

 その後も、大きな地震はあったものの文明が機能不全に陥るまでの事態には至らなかった。

 しかし、なお関東から東海にかけて大きな地震が起こるだろうと学者は指摘を続けていることと、遠く離れた海外を発生源とした津波も押し寄せることも度々あったため、政府は海抜20メートル以下の場所に人が住むことを禁止した。

 関東平野は湾内ではあるが、湾内を震源とする地震も発生したことと、海面上昇による低地の消失などの継続した観測もあって、全国でそうなった。

 広大な広さの土地の用途に様々な議論を重ねた結果、世界的な人口増加に伴う食糧不足に対応したほうが、ゆくゆくは賢明だと誰もが納得するだろうという意見に反論できるものはおらず、土地は放射能こそないものの、重金属などを除染、入念に改良され、今では広大な農地と化している。

 結果、今では海抜20メートル以上ある場所に位置する皇居より東や南にかけてほぼほぼすべて海岸線まで、コメや大豆、小麦を生産する日本でも重要な食糧の広大な生産地だ。

 日本は食料の安全基準が世界に比べて厳しいため、多少値段が高くても輸出需要が高い。

 もちろん、国内の胃袋を満たしつつ余剰分を輸出しているにすぎない。

 人間も生産に従事しているが、大型機械もドローンも中央遠隔制御が可能なので、まるで化学プラントで生産する製品のような生産体制に近い。

 その仕組みはもはや完成されたと思しき様子をこの高台から、そろそろ田植えの時期の今、日の光と海から吹く心地よい風を浴びながら眺めるのが、わたしのひそかな楽しみになっている。

 そういえば、となりのあのおじいさんも、今年で80歳を超えて何年目かにはなるが、かつて眼下の平野のどこかにあった警察署に勤めていた警察官だったらしい。

 わたしが知る警察官の仕事とはちょっと違う変わった仕事だという話をいつだったか聞いたことがあった。

 今でも制度は健在だが、ベーシックインカム制度が始まって以来、驚くほどその出番は無くなったようで、自分のような思いをする後輩が少なくなりそうで本当に良かったと語るおじいさんのその目は、心からの言葉なんだということを察するに十分だった。

 どんな時間でどんな気持ちだったのか、聞いてみたいが、なんだかトラウマをわざわざ掘り返してしまうような気がしてならない。話してくれるなら聞きたいが、積極的には聞きにいかない方が良いだろう。

 海岸線まではとてもとても遠いこの高台まで、海からの風だとわかる香りが心地よかった。

 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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