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あり得ない日常#10

 事務所にはコーヒーマシンが置いてある。

 来客用の別の事務所に置いてあったものを新調した時、井上さんが持ってきてくれたものだ。

 通販で様々な種類のコーヒーカートリッジを手に入れて、まだまだ楽しむことができる。

 窓の外を眺めながら、曇り出した空を見ながら雨が降るような情報はなかったけどなあと天気予報アプリを左手で見ながら、淹れたてのコーヒーの香りに癒される。

 サーバールームの室温が安定して問題が無さそうなら、雨が降り出す前に帰らないと、ここに長居することになりそうだ。

 さて、人間は現状に不満を言う事を得意とするが、どうしてそうなったのかについては振り返らず、追及もしないらしい。

 玄関に置いている折り畳み傘をなぜ手に取らなかったのか。

 ひとり暮らしだから過去の自分に腹を立てる以外に無い。

 もし絵にかいたような幸せな家庭に育ち、同じ屋根の下に同居しているとして、家を出る前になぜ傘を持って行った方がいいと声をかけてくれなかったのかと、私は腹を立てるのだろうか。

 さすがにそれは人としてどうかと思う。

 昔から人は、誰かの指示に従って生きることを好んできたようだ。大陸のうち、面積の大きな国から数えて多くの国が今なお権威主義社会だ。

 王が政治に口を出さず上手くやっている国もあるが、元首が独裁体制を敷き、何かあればすぐ粛清をするような恐怖政治をいまだ繰り広げている国もある。

 まだ自由を知らない民が多い国ほど、指示されて、寄りかかれる、責任の所在を支配者や層に委ねられる存在がいないと不安で夜も眠れないらしい。

 神や王のために死ねと言われれば喜んで死ぬらしいから、正誤はともかくその忠誠はスゴイと言わざるを得ない。

 支配の常識の中ではそう染まるものなのだろうか。

 私はそうではない気がする。もしそんな社会に生まれたとしたら、異端者として処刑されるか、知性ある支配者層の人に取り入って、ひょうひょうと生き延びているかのどちらかだろう。

 軍と聞くとなぜか血が騒ぐので前世か何かで経験があるのかもしれない。

 第一回東京オリンピックから日本は大きく変化したらしい。街はそれまで、とてもじゃないが衛生的ではなかったという。

 立小便は当たり前、たんつぼという謎のツボもあり、一体誰が掃除をしていたのかとある意味で興味が湧いてくる。

 時代が進むごとに、レトロなものが人気を集め、昭和の時代はまるで、実際に存在したファンタジーな世界だと思われていた向きもあったが、実際にその時代を知る人間から言えば、とてもそんなもんじゃないと思えたようだ。

 今は、学校というものは存在していないが、それこそ子供が集団で集まるわけだから、小さいうちはまだかわいいが、半分大人になったような子供が集団になると荒れた時代は大変だったらしい。

 社会問題と化し、その反省から必ず部活に入るように改められ、何かのコミュニティに属させることで、表面上は治安が改善した。

 薬物などが蔓延した都心の一部は大変だったらしいが。

 隣のおじいちゃんが定年する数年前から始まったベーシックインカム制度だが、経済社会の自動化が進めば進むほど無職者を生むことになる。

 無職者が増えるという事は、どこのコミュニティにも属さない人間が増えるわけだ。

 当初は治安の悪化が心配されたが、少なくともお金に困ることは無くなったことと、大半は高齢者がこの国の人口を占めていたことから、もはやそんなエネルギーはこの国には残されていなかったらしい。

 最低限生きていくだけのお金に困らないようになっただけで、それだけで派手な生活ができるわけはない。

 そのためには働くなどして収入を得なければ難しいわけだ。
借金でもしようものなら、最低限の生活費ですら稼ぐ、前時代の生活に逆戻りしなければならない。

 また、長生きや苦しみながら生きたくないのであれば、医療費は貯めておく必要がある。

 かつて年金と生活保護の廃止からベーシックインカム制度にシフトした。

 それだけでは当然財源が足りないためにメスが入ったのが、国民皆保険制度だった。

 医療費の一部さえ支払えばある意味無尽蔵に医療が受けられた状況を見直し、より高度な医療を望むなら個人負担としたのだ。

 今は年齢が若かったり、実績があって重要な人物ほど申請すれば、財団が医療費を負担してくれる制度がある。

 命の選別だと批判もあったが、限りある財源を活用する方法としては妥当だと言わざるを得ない。個人では医療保険に加入しておく方法がある。

 それら制度改革は、蜂の巣をつつくようなものだった。

 ただ、無職になった大勢の人達はそもそも"今"困っているわけだから、将来の医療費どころではない。

 いくら組織の中で地位が高かろうが、デスクワークの仕事ほど自動化への変革の波を受け、来年どころか明日、そのまま自分の居場所があるかどうかわからない。

 誰でもいつでも無職になり得る、明日は我が身の世界だ。

 自動化してスリムになった組織から、再編が進み、他の組織に吸収合併されるなどしたが、その支払い債務まで負う組織は無かった。

 一旦、大きな解雇手当債務を理由に破産し、残った資産価値不明の事業継承を新たな組織が受け継ぐという、アクロバットな方法が裏で進められたので、一個人に過ぎない従業員は、その多くが泣き寝入りするしかなかったのである。

 そうなると、結局は誰が対応することになるかと言えば国家しかない。

 途方に暮れ、どうしたらわからない、情報をどのように得て、組み立てて、自分の頭で考え、結論を出す力のない人ほど、警察署の地下に設置されてある例の施設に訪れたという。

 中には家族を遺してこの世を去った人も多くなかったそうだ。

 一度は、無職者を自衛隊に属させるかという議論もあったが、それはさすがに、まるでかつての赤紙のようでやりすぎだという事、かつての植民地だったアジア諸国から見れば、自衛隊とは名ばかりの事実上の軍拡にしか見えないため、やるべきではないという意見で締めくくられた。

 いずれにしても財源というリソースが限られる中では、まだ選択肢が多いうちに、先手先手で必要な制度はさっさと始めるべきだという教訓をこの国は得たのだ。

 まだ大丈夫は、実は大丈夫ではないのかもしれない。

 雨はまだ降り始めていないようだ。

 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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