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あり得ない日常#44

 「本当に申し訳ない。」
社長がそう頭を下げてわたしに言う。

 いや、それこそ社長は悪くない。
AIを活用した業務の自動化が進む中、意図的な操作も明らかになり、むしろ社長は被害者の立場でもあるのだ。

 労務管理は社長の仕事でもあるので、責任を問われるのは致し方ないが、それと彼らの最低な一連の行為は完全に別物である。

 日本人をはじめ、少なくともこの周辺国の民族は、責任の取り方や考え方、そしてその扱いがどうにも下手くそだ。

 とりわけビジネスや人間関係においても、いつまでも根に持ったり、引きずる傾向にある。

 いつまでも向き合わないのならともかくとして、一度話し合いで済んだはずの話を蒸し返す。

 そんな関係は被害者にいつまでも"たかられる"だけなので、さっさと切り捨てて断絶するしかない。

 断絶するとお互いにコミュニケーションが取れなくなるから余計に疑心暗鬼になり、根も葉もない噂や誤解が幾多の争いや戦争に繋がってきたことをいつまでも学ばない、気づかない、ただの愚かな民族だ。


 本人が進んで悪事を働いたのなら、当然その責任をとって、一生をかけて償う必要があるだろう。

 それは仕方がない。

 ただ、仕事上のミスで責任を取ることまで同じように責め立てるのは、出る杭を打つような他の意図があるように思えてならない。

 責任範囲の考え方は簡単だ。
例えば、株主は出資した額の範囲だけで責任を取ればいい。
つまり、出資した全額は失うが、逆にそれ以上の負担は一切求められず、それ以上の責任は追及されないのだ。

 株主は会社の連帯保証人ではない。

 それと同じく、仕事上の責任は仕事上の範囲で収めていいはずで、それ以上の過剰な責任追及はただの粛清に他ならない。

 もういっそ、ことごとく契約で責任範囲までいちいち定めたらどうだろうかと思うほどには、特に日本人は被害者根性が強すぎる傾向がある気がするのだ。

 これでは、いつまでたっても自ら責任を取りにいく人間が出てこず、皆横並び一線で出過ぎた真似をしないようにしましょうという、生産性も革新的な技術の向上などもない、ただの穀潰し集団と変わりがないはずである。

 ある意味、共産主義に等しい。


 会社の事務所が犯罪の現場になったと考えると、社長は今後被害者の心に気を遣いながら、二度と同じことが起きないようにする必要があるだろう。

 それが社長をはじめ、経営陣がとるべき責任ではないだろうか。


 加害者として裁かれたあの彼らは去勢されて刑務所に服役し、被害者に金銭的にも生涯をかけて賠償することになるだろうから、それはそれで放っておいていいだろう。

 会社も、彼らの行いで名誉を傷つけられたわけだからその損害を彼らに請求していくという。

 今回の事件はそのように決着がついた。


 いや、それこそ社長は悪くないです。
あの時、別に何も悪いことしてないじゃんって社長が言ってくれたように、わたしはたぶん、あの時の社長と同じ気持ちでいますよと伝える。

 「ありがとう。」


 社長が詰める質素な事務所にはほかに技術者が2名ほどいて、衝立の向こうで淡々と作業を進めている。

 わたしはこの後、以前からの話の通りに、退職した人の後を任せてもらう形で一つの拠点を引き継ぐことになった。

 このあと井上さんが合流してその事務所へ3人で向かう予定だ。


 今回の事件でどうなることかと思ったが、ほかの会社でも十分起こり得る事件だっただけに、会社の業績に重大な影響が出るような動きには幸いにもならなかった。

 なんなら、今回の問題を会社のウェブサイトに公開することで、ほかの会社がそれを参考に対策ができるようになり、評価を得られることとなった。

 自動化は便利で人件費がかからない上に、過度な労働を必要としなくなる良い面を持ち合わせるが、逆にそれを良いことに思いもしないような悪さに用いられる場合もあるようだ。

 おじいさんがいなくなってしまって、由美さんとしばらく一緒にいたが、会社でのわたしは今後どうなるんだろうという話もした。

 だが、心配していたようなことはなく、これまでよりもむしろ会社とはいい関係になれるかもしれない。


 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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