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あり得ない日常#25

 新人さんですか。

 井上さんと事務所でコーヒーを共に楽しんでいる。
コーヒーの香はどうしてこう、心を落ち着かせてくれるのだろう。

 コンビニでもコーヒーマシンの淹れたてを楽しむことが出来るが、周りに人が居たりしてどうにも落ち着いて楽しめない。

 どうしても飲みたくなる時はあるが。
おっと、今はそうじゃない。

 「社長が、そろそろ新しい拠点を増やしたいって。」

 そういう事か。
となると、もうしばらく会社にいることが出来そうだ。

 他の拠点からこちらに誰かが来るわけではなく、新しく雇うらしい。
あれ、じゃあここが2人態勢になるということですかと尋ねる。

 「うーん。そうじゃないらしくて。まだ決まってないから、しばらく新人さんに仕事を教えてあげてもらってもいい?」

 嫌だとは、言えない。

 わかりましたと答えると、カップが空になったのを見てじゃあそろそろ行こうかなと立ち上がり、彼女は流しにカップを持って行く。

 あ、私やっておきます。と挟むと、じゃあお願いするねと軽やかに次の拠点へ向かったのだった。

 新人さんかあ。一人で淡々と気楽に過ごしていたこの空間に誰かがくるのかあとちょっとだけ憂鬱になる。

 そうかあ。
しかしこればかりは、会社の方針だから仕方がない。


 月が替わると、井上さんとともに社長が詰める拠点へと向かった。

 来客用の拠点であるため、少しおしゃれな雰囲気にまとめられている。
間接照明やソファーもある。

 わたしは滅多に来ることは無い。
普段自分がいる場所と見比べるようにわぁと重いガラス扉の取っ手を井上さんから受け取りながら小さく声をあげる。

 井上さんがふふっと小さく笑う。

 「あまり来ることないもんね、色々物が増えたでしょ。」

 はいとうわの空・・・・だ。
いいなあと言葉が漏れる。

 上の階が社長の自宅、その上は別のテナントが入る。
会社の建物ではなく、借りているだけらしい。

 ソファーに二人して座って待つと、奥から社長が男性を連れて出てきた。ちょうど話が終わったらしい。

 あれ?男性だ。
そう思いつつ、二人して立つと「いいよいいよ」と座るように社長が促す。

 社長と男性も向かいに座ると一呼吸おいて穏やかに口を開いた。

 「こちらが、新しく仲間になってくれる藤沢さん」

 すっと立ち上がると「藤沢です」とちょうどいい声で自分の名前とともに、よろしくお願いしますと穏やかだが緊張した声だ。

 「はい、よろしくね、藤沢さん、座って座って。」

 それぞれが自分の名前を言い合って、紙コップのコーヒーがそれぞれにいきわたると和やかな空気になった。

 「元々配達をされていたけど、辞められて。」と社長が口を開くと、井上さんと二人して「ああ」と小さく反応する。

 社会がドローン配送を基本とすることになって以来、ドローンで運べない大きな荷物や貴重品などを人の手で運ぶようになった。

 当然、それまでの人員をそのまま必要とする必要は無くなる。
山の木々が少しずつ色づくように新しい配送システムに置き換えられた。

 そうして、他の職に移ることになった一人だ。

 最低給付保障制度ベーシックインカムだけで過ごすこともできる。
でも、それだけでは人生は物足りない。

 AIが主流であることもあって、なかなか希望通りにもいかない。

 研究職ならともかく、学士として今の社会で活躍するとなると、全体のシステムを支える技術者として自分で細々とやるか、こうして会社に所属するのが普通だろう。

 わたしよりもひと回り年上の藤沢さんは体力やリスクを考え、そのまま配送に携わるよりは転職した方が良いと思ったのだという。

 配送も安全な仕事ではなさそうだ。
常に事故と隣り合わせの職業のひとつか。

 そして、専攻分野に人生のどこかで携わりたいと思っていたという。

 ただ、新卒で進めばよかったが、学費がかさんだこともあって、学生ローンを返済するために配送の仕事をしたという。

 実務経験が無いという事情が、この会社との縁につながったらしい。

 たまに人員募集を公に働きかけるくらいだが、専用のウェブサイトがあるので掲載をすると希望者が集まってくる。

 実際に事務所に来てもらう時は、もう採用が決まったことになる。

 かつてのような社会保険手続きが存在しないため、採用から退職まで簡素な手続きで済む。

 何しろ、関係なくベーシックインカムは支給されるので、交わす契約書の通りに物事が進む限りトラブルは無い。

 引継ぎがネックになるくらいで、今までのややこしい社会の仕組みがまるで嘘のようだ。

 「新しい場所を増やそうと思って準備をしているんだけど、どうしても一人来てもらった方が良いと思ってさ。」

 そんな話から始まり、藤沢さんが簡単なゲームくらいなら作れるという話になった。趣味のひとつらしい。

 すると社長が「うちもさ、コンテンツ資産が欲しいよね」と言う。

 あ、会社の資産を活かしてゲーム制作を始めたいのかとピンときた。
「まあ、どんなゲームを作るか思いつかないんだけどね」

 それはそうだと皆で笑う。

 ところで、しばらく仕事を教えてねと言われたが、一体どこでだろう。
まあ、後で聞いてみるかと今はこの時間を楽しむことにした。


 この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

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