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04 |「境界線」という考え -「自分の権利」と「他人の権利」が、等しく尊重される重要性

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「みんな違って、みんないい」
「みんなそれぞれ、『自分の』人生を持っている」

これが、この世界中で、矛盾することなく成り立っている。
すごいことだと思う。


もちろん、問題もある。
そりゃあもう、たくさんあるでしょう。
問題がなければ、警察も消防も、弁護士も裁判所も、刑務所もないでしょうよ。

でも、そんな中、全員にとって重要になる価値観がある。
それは、こういうことだと思う。

誰もが、自分の権利を保障される
・その代わり誰もが、他人の権利を踏みにじらない
 他人の権利もまた、尊重され保障される

(だから、他人の権利を踏みにじった時、相応の罰則を受ける)


この、自分と他者のあいだの、大切な「境界線」。
この境界を尊重することで、いろいろありながらも、共にやってゆける。

そして、(先にも述べた通り)私の親が誤っていたのは、まさにここだと思う。

要するに、権威があることが、問題なのではなかった。
社会的地位が高いことも、問題ではなかった。

そうではなく、こういう「ねじれ」が問題だったと(子の立場の)私は思う。

自分が「たくさんの人から認められていて」「地位や名誉を持っている」から、「偉い」「特別」と勘違いしていた


直近の言い方で言えば、いわゆる、自分を「上級国民」と思っていたであろうこと。もし万一、本当にそう考えていたのだとしたら、傲慢な考えだと思う。


このことは重ねて、著者個人の、ただの思い出話ではないです。
そうではなく、あなたと共に、この「勉強会」の核心部のイメージを共有しやすいよう、自分の話で説明しているだけ。

この、「特権意識」による「傲慢」の件は、今後の文脈に、非常に関係してくる話だと思っています。


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