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銀色のオオカミと夜空を眺めていた

母が光の世界に帰っていった。

姉との奈良と京都旅行から帰って来た翌日に、母が入院した。
旅行は母が体調が悪くなる前の去年の夏に予約していたもので、出発前には母の体調に特に問題がなかった。だから旅行を満喫して帰って来た。
まるで私と姉が旅行から帰ってくるのを待っていたかのように、その翌日に母は体調が急に悪化したのだ。

認知症ではあったけれど、その日までは、特に体に問題はなく。
3月に施設に入ったばかりで、
「みんな親切だし、一緒に話す人もできたし、ご飯もおいしいし」
などと、入居したことを喜んでいた様子だった。

それなりに弱ってはいるけれど、まだまだ身体は元気、のはずだった。
「念のため大きな病院へ運んだ」と、施設から連絡が来て駆けつけると、医師は、
「もう退院することは正直難しいでしょう。今日か、はたまた一ヶ月後になるかはわからないのですが、一応覚悟はしておいてください」
と説明してくれた。

それから一ヶ月が過ぎていた。
その前日にお見舞いにいった時には、
「看護婦が意地悪なの、早くここから出して」と大きな声で訴えていた。
実家の庭の手入れをしたことを話していると、途中から恍惚の表情になって天井を見つめて頷き、最後は両手を合わせて宙を拝んでいた。
悪化しているようには見えなかった。確かに治ることはないかもしれない。だけど、もしかしたら退院することができるかもしれない。そんな風に感じていたのに。

宙に拝んでいた翌日から意識がほとんどなくなって。
その一週間後に、静かに、ほんとうに静かに、たった一瞬で光の世界へと帰ってしまった。

その夜、姉や姪たちと一緒に、母と同じ部屋に並んで寝た。
そして夢を見た。

他の人は全員眠ってしまったのに、普段はすぐに寝る私は眠れなかった。午前2時近くになった頃、ふと、うとうとした。

うとうとする私の周りを、ターバンのように細長い「星空の布」が、わたしが寝ている布団を囲むように、床からぐるぐると回りながら螺旋を描いて上昇していった。
「これはきっと、星空が私たちを守る結界を作っているのだ」
と、何の脈略もなく思った。
現実と夢が入り混じって、すでに夢の領域にいるのに、頭が冴えている不思議な感覚だった。

しかし次には、わたしは星空の下に座って空を見上げていた。
つまり夢の中に入り込んだのだ。

満天の星空と、地平線が見えるほど遠くまで続く荒野と背後の森が目に映る。少しだけ冷えた地面に座り、銀色のオオカミによしかかりながら私は
「魂が宇宙に帰るよ」
と星空に人差し指を向けてそう呟いた。
私は「母」が宇宙に帰っていくのを、夜空の下で見守っていた。その横に真面目な顔をした小さな少年が座って私の話を聞いていた。あれは、現実の次男だと直感でそう感じた。
私がよりかかっていた大きなオオカミに抱きつくように眠っている小さい女の子がいた。それが現実の娘だ。

わたしは20代半ばくらいの女性だった。頭に巻いた白いバンダナの右耳の上に、白いイーグルの羽を立てていた。

わたしはネイティブアメリカンの部族の一つ「ホピ族」だった。メディスンウーマンで、結構キリッとしている印象だ。ホピ族(平和の民)なのにまるで女戦士みたいだ。

そこで唐突に目が覚めた。そして思う。

「わたしがかつてホピ族だった時も、私は母の娘だったのだ。そして、秋のある夜に、子どもたちと一緒に、母を見送った。
つまりこの人を母として見送ったのは、はじめてではない。そう勝手に考えてしまった。なんの根拠もないのに。

真実はわからない。一瞬だけ見えた夢の映像だけなのだから、根拠にすらならない。

でも私は思ったのだ。
いつかきっとどこかで、また普通に出会う日が来るから寂しくなんてない。

夢の中の静かな星空が、実際に見たわけではないのに、私の中に、まるで大切な思い出のように広がって、悲しみより、寂しさより、もっと荘厳な気持ちになった。

そして今度こそ、ちゃんと眠りに落ちた。





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