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年齢に黄金比率を掛けると何かわかる?

ダイヤモンドを磨くことが出来るのはダイヤだけ
人間を磨くことが出来るのは人間だけ
だからたくさんの人に出会い、傷つき、傷つけられても、
それがあなたの輝きに変わる日がいつか来るから
恐れずにたくさんの人と出会い続けようね
byペンジェル

この謎のペンジェルですが、私のオリジナルキャラクター、天使ペンギンのペンジェルです。
このnoteのアイコンにしてあるこのピンクのペンギン。
これは、お絵かきツールで描いたものです(*^_^*)

ペンジェル誕生のいきさつは、この1998年2月に開設した私のホームページ(あえてのこの表現笑)に掲載しておりますが。

こどもが小さい頃に、リクエストされたものをどんどんイラストにしていた日がありまして。
まあ、子どもたちにとってはママ(私)は、おもしろいことをしてくれる人でもあったので(笑)

アンパンマン、
はい、
機関車トーマス、
はい
ペンギン、
はい

ペンギンは鳥であるとあらかじめ私に聞いていた幼い息子が、
「ペンギンに羽がない」
と言い出したのです。
「この手が羽なの」
「羽がない」
「オッケーわかった。羽を描くよ」

そうしてペンギンに羽を描いてみたらまるで天使みたい!となりまして。
ついでに輪っかも描きました。
よく、ペンジェルってベレー帽被っていますよね、と言われますが、ベレー帽じゃなくて、輪っかっす。
すまんす。
ってなっています。

まあ、毒親→21歳で結婚出産→一緒に暮らし始めて3日めに妊娠7ヶ月だったにもかかわらず壁に叩きつけられて一瞬ブラックアウトする(DVがはじまる)

こんな過酷な日々の中、こどもたちだけが私のたったひとつの光な日々でして。
その中で、なんとしても、笑顔で、楽しそうに、いいえ、できれば楽しく過ごすため、毎日自分にその日のテーマのようなものを作って生きていました。

そんなテーマになるようなお言葉を伝えてくれていたのがペンジェル(という設定)

で、そのお言葉を、最初はこのホームページの表紙で、2002年からは、週一で発行しはじめたメルマガで書き込んでいました。
まあ、最初の4~5年くらいだけでしたが。

そんなペンジェルちゃんのお言葉はこちら

私は、言葉とか、歌詞などに励まされて生きているタイプなのです。
だから子どもの頃から大好きな歌の一つに

♪人は悲しみを乗り越えるたびに美しくなれるんだとぉ~

というものがあります。
何かのCMソングだった気がしますが。

金井夕子さんという方が歌っていた、尾崎亜美さん作詞作曲の「パステルラブ」という歌の一節。

傷ついたり苦しむから優しくなれるし美しくなれる。
だからこんな環境に生まれたのはマイナスってわけじゃないんだ。
がんばれ私。

という応援歌にしておりました。

そして、一日その言葉をこねくり回して色々考えるのです。
現実でいろんなことがあって苦しくても、頭の中は自由ですから。

母親と元夫に共通していたのが、その場所にプチ軟禁といいますか。
外に行くことを禁止したり、何かをすることを禁止する、またはこれをひたすらやっておけと謎の指令を出す。

なので、自由に動けないし、やりたいことをやれないし、やりたくないことをやっておかないと、とんでもなく叱られたり、元夫さんに至っては暴力を振るわれる。

そんな時、唯一自由になるのが頭の中だけ。
だからいまだにどんな場所でもすぐに妄想物語をぶちあげちゃうのです(笑)

まあ、なんだろう、昔話に出てくるドレイさんたちの設定みたいですよね。

でも、おかげで伝えたい言葉のストックが尋常じゃなくある。
お題を与えてくれれば、3分、15分、2時間など、その尺に会わせて、結構感動エピソードを盛り込みながらずっと話していられる。
だから営業成績がずっと良かったのかなと思います。
トークめちゃくちゃおもしろいしためになるってよく言われたので。
(営業はノルマがあるのでもうしたくないですが、シングルマザーの時はずっと営業でした)

例えば、傷つくということに関して思ったこと。

傷ついたと思うことは、実はゴツゴツした岩の表面を削っている作業のひとつで、その数が増えれば増えるほど、つまり岩を磨けば磨くほど、のっぺりとした宝石ではなくて、価値のある深い味わいの宝石になるのですね。

今日のメッセージはみがく(黄金率で節目を迎える)

自分がかなり前(2009年)に書いたブログをたまたま読み返していて、こちらの投稿に、

さっき、とあるブログで、人生はある一定の数値で繰り返すってありまして。
黄金率のことなのですが。
簡単に言うと、何か大きな出来事があった年齢に黄金率を掛けて、出た数の年齢に節目が来るようです。
私がこのパステルラブを毎日歌っていたのは、忘れもしない、16歳の夏でした。
手術と入院生活を余儀なくされ、辛くて辛くて、なんでこんな病気になった年齢。
太陽に諭されて、はっとしたという、人生の節目のときだったのです。
その時に黄金率のサイクルをあてはめたら、そのあとは26歳(これってニッセイに入社した年です。今いる親友と呼べる人たちに出会った場所はここだった)
26歳も、正社員としてフルタイムで働き始めた年だから、結婚後、本格的に社会に出た年ともかんがえられるし。
で、その次の年齢見てびっくり。
42歳でした。
離婚した年の年齢でもあるし、確かに節目ですね。

今日のメッセージはみがく(黄金率で節目を迎える)

うむ。
なんのこっちゃ(説明書いておけよ、昔の私)

何か大きな出来事があった年齢に黄金率を掛けて、出た数の年齢に節目が来るようです。

とあるので、たぶん16歳が最大(手術して3ヶ月入院した)ので、そこからかけていくと(黄金率ってあれでしょ?黄金比率のことでしょ、きっと)

1.1618とあるので、そこからかけてみましょう。

16、18、21、24、27、31、36、42、49、57

計算していき(端数は四捨五入)、唐突にわかった!となる。
なるほど。急にあの古いブログを見た理由がわかりました。

なぜならもうすぐその年齢になるからです(全員に年齢を発表した気がしたような)

年齢ずらっと見て、それぞれが結構色々あった年だってなったので。
(というか波瀾万丈過ぎて,どこを切り取ってもたいている何かあった気がする)

この秋以降になんか、ありそう!
(良いことに決まっている!😆)



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