日本最古のお寺で運命の数奇さを思う
明日香村にある飛鳥寺は、596年に蘇我馬子によって建てられた日本で最初の大寺院です。
当時は現在の約20倍もの壮大な寺院で、大陸からたくさんの技術者を呼んで、日本で初めて瓦を製造するなど、最新の技術で製作されました。
この寺を中心に天皇の住居がおかれ、大陸からたくさんの情報や技術が入るようになり、日本で初めての首都として100年ほどの飛鳥文化が栄えたとされます。
今は小さな村の古いお寺という印象で、周りに目立つ建物などはなく、かつての首都の中心地だとは気づかずに、うっかり通り過ぎてしまいそうになります。
中に入るとちょうどお寺の方による解説が始まったばかり。
数人の来訪者さん達と一緒に座り、じっくりお話を聞きました。
その内容は以前「京都ぶらり歴史探訪」の番組内で、中村雅俊さんが受けていたものと同じでしたが、改めて直接見ながら説明いただき、より深く知ることができました。
本尊の釈迦如来像はとても大きく、日本に現存する最古の仏像とされ、飛鳥大仏と呼ばれています。
アーモンド形の大きい目と、口元に、ほのかな微笑み(アルカイックスマイル)を浮かべているのが特徴です。
かつて火災により建物がなくなり、鎌倉の大仏様と同じく野晒しになっておられた時期もあるとのこと。
その火災時に大仏像も破損し、修復がなされました。
日本最古の仏像でありながら国宝に指定されないのは(重要文化財)大部分が後世に作り直されたためだとか。
いや、充分国宝に値しませんか?と残念な気持ちに。
見る角度によって、向って左側はやさしい慈悲の表情に、向って右側はちょっと厳しい怒りの表情にも見えると言われ角度を変えてみますと、確かに!と。
↑こちらが慈悲のお顔なのですが、確かにこちらからの方がお優しい。
それは教えてもらわなければ見過ごしていたかもです。
蘇我一族の氏寺でしたが、乙巳の変の後に蘇我氏が滅び、官営となりました。
お寺のすぐそばに、乙巳の変で殺された蘇我入鹿の首塚があります。
時間がなくて近くまで行けませんでしたが、遠くから手を合わせました。
そのすぐそばには、蹴鞠の会が開かれた広場跡があり、その時に中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったとされます。
そんな不思議な巡り合わせの場所でもあります。
悲しい歴史がありながら、かつて最も栄えた場所としての気品があり、飛鳥を代表する場所の一つと言えます。
実はここに来る直前に、レンタカーを運転していた姉が、奈良の細い道の溝に嵌りタイヤが空回りして全く動けなくなりまして。
(飛鳥宮跡を見にきていた方などが助けに来てくださり、難を逃れました)
その時は、
ああ、今日の観光は終わった。
と思ったので、本当にこちらに来れてよかった😆
のちにレンタカー屋さんの方に
「奈良の宮殿跡の周りは特に道が狭いんだよ。敵が宮殿に来た時に、道が狭くクネクネと曲がっていたら攻撃力が少し削げるでしょ?だから。
でね、工事して道を広くしたいんだけど、ほら、そんな場所なんて、土掘れば遺跡出てきちゃうでしょ。掘った人がお金払って発掘しなきゃいけないから、みんなやりたがらないの(本当??笑)」
とおしえてくれました。
北海道のバカみたいに(褒め言葉)広い道路に慣れているため、ナビに言われるがまま、奈良のあの細い道を車で走っていた時は、
ここは車道であっていますか?
私たちは間違って歩道を走っていませんか?と本気でこわっ!となっていました。
奈良、色んな意味で恐るべしです。
↓飛鳥王国パスポートなどの詳細は以下のページで見られます^_^
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